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見た作品のその時々の感想置き場

『ザ・フラッシュ』感想:超速ヒーローらしいテンポの良い快作

日劇場公開したDCコミックス原作の映画『ザ・フラッシュ』の感想。主演のエズラ・ミラーの度重なる問題行動やDC映画の体制変更など曰く付きの作品だが、トム・クルーズを始めとした業界人から絶賛の声が上がるなど、良くも悪くも注目作。

実際鑑賞してどうだったかというと、抜群に面白かった。

アクションとギャグを交互に畳みかける展開はスピード感があり、説明も台詞だけでなく映像を有効活用しておりテンポが非常に良く痛快。

また多数のヒーローが登場するお祭り映画でありながら、主人公個人の精神的変化に常に焦点が当たっており、フラッシュの単独映画としてふさわしいものになっている。

ただ一応補足しておくと、私は俳優の不祥事などのメタ的事情を全然気にしない鈍感な人間ゆえに楽しめているきらいは大いにあるので、気になる人には合わないかも。

以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

テンポのいいアクションと個性的なビジュアル

本作のアクションシーンは全体的に好きなのだが、冒頭のシークエンスが飛びぬけて素晴らしい

長ったらしい説明や湿っぽい自分語りもなく、開始5分足らずでコスチュームに着替え出動する話の早さが気持ちよく、アルフレッドとブルースとの会話でバリーの人物像が端的にわかるのも周到。

2人のヒーローが別行動し、個性的なアクションを交互に見られるのも楽しいが、特にヒーローには欠かせない「人命救助」をフラッシュとバットマンの両方が行っているのが重要。本作に限らず、タイムトラベルやマルチバースなどを扱って物語のスケールが大きくなる程このヒロイズムの基礎は忘れられがちだから。

ヒーロー映画の楽しさとキャラクター紹介を兼ね備えたシークエンスを映画の一番最初に見られるのがたまらなく贅沢で、この時点でもうチケット代の元は取れた気分だった。ヒーロー映画史上最高とまでは言い切れないが、少なくとも自分がここ10年で観た中では間違いなく最高の導入のひとつ

フラッシュに関してはかっこよくもダサいのが良い。能力を使う時にもギャグが混ぜ合わせられていて緊張感がないがテンポが良く、終始楽しく観ていられた。過去バリーがしくじっては現在バリーに窘められるという形で能力を一つ一つ紹介していくのも巧い。

走るポーズの妙になよなよしているし、スタート前のポーズなんかかなりシュールなのだがそこがちゃんと個性になっている。スナイダーカットでは人命救助とアシストには役に立ったものの戦闘にはほとんど関与しなかったが、本作では主役(しかも二人分)ということもあってかバリバリ参戦する。クリプトン人にも通用する打撃力に余波のエネルギーを利用した竜巻や電撃。耐久力は常人並だが高速治癒と物質透過まで可能で、攻守ともに充実している。割とアクアマンくらいならいい勝負できるんじゃないか。本作で電撃を用いた攻撃方法を戦闘中に即興で編み出したように、前作から様々な能力の使い道を研究してきたと考えられ、バリーの頭の良さが垣間見える。

後述のクロノボウルに登場するCG再現されたモデルにも言えることだが、高速移動中のバリーは他の人からは見えないので、常に窃視しているような背徳感を伴う。これはX-MENMCUクイックシルバーにはない、DCEUのフラッシュに特有の演出。スナイダーカットでのアイリスを救出するシーンに続き、特殊能力を通してバリーのクリーピーな側面を描いた印象的な演出。

コスチュームも片やぴっちり全身タイツ、片やバットマンスーツの魔改造とコスプレ感が強い。特に私はバットマン・コスチュームが好きで、赤い塗装と黄色い稲妻マークに過去バリーの現在バリーへのリスペクトを感じつつ、隠しきれないバットマンの面影に夢のコラボ感と背徳感が混じった独特の感慨がある。

最後の戦闘中、過去バリーの変化が視覚的に描かれてるのが良い。赤い塗装が摩耗して黒地が見えていくのを皮切りに、ジョーカーを思わせる頬の傷や凶器が体と一体化していくなど、次第に過去バリーが怪物になっていくのが痛々しい。

フラッシュ以外の3人のヒーローは正統派なカッコよさを追求しつつ、きちんと差別化されている。特に二人のバットマンはガジェットだけでも、ベンアフバッツのものは直線的でミリタリー色が強く、キートンバッツは流線型でレトロな手動操作のものを使用するなど、確かな方向性の違いがあって面白い。

ベンアフバッツは冒頭シーンのみの登場ながら、短時間でバットサイクル、マント滑空やグラップリングなどバットマンらしいことは一通りやっていて物足りなさはない。ガジェットを加味してもフラッシュの方が明らかに強いのに、経験と技術でそれをカバーして先輩の貫録を見せてるのがとてもカッコいい。

キートンバッツ周辺で特筆すべきは、ウェイン邸とバットケイブというロケーションの美しさ。ウェイン邸に入る所からそうだが、過去バリーが我々視聴者と同じように興奮するので新鮮なワクワク感があり、当時バートン版に感動した人々の気持ちを味わっているようだった。

あと本作の視覚演出で特徴的なのが、バリーがタイムトラベルする際に発言する「クロノボウル」。後ろ向きに走るバリーのモーションと、バリーを中心に蟻地獄のように時間が巻き戻っていく映像は何とも奇妙でこれまで見たことがないものだった。マルチバースが衝突する際の各世界がフィルムが巻き付いた球体のように描かれていたのも印象的。台詞ではなく象徴的かつ具体的な映像を用いて説明するのが好感が持てるし、これが漫画の映像化として好ましい姿だと私は思う。

バリー・アレン個人のドラマ

タイムトラベルやらマルチバースやらの概念が飛び出し、フラッシュ以外のヒーローが何人も登場するお祭り作品ではあるが、本作のストーリーの軸は至ってシンプルなのがいい。その軸とはトラウマを抱えた主人公バリーがそのトラウマと向き合い、成長する物語。スナイダーカットもサイボーグの成長が軸にあって、こういう個人的でエモーショナルなストーリーが軸にあるほうが共感しやすくて私は好き。

本シリーズのバリーはコミュ障だったり、お喋りで空気の読めないギャグで滑ったり、主人公らしからぬオタクっぽいキャラクターが凄く魅力的。エズラ・ミラーの纏う繊細かつ少し気持ち悪い空気感と(過剰気味なマザコンっぽさまで含めて)、感情表現から変顔・ジョークまでを柔軟かつ独創的にこなす演技力によって素晴らしいキャラクターになっている。

何より、本編の大半を現在のバリーと過去バリーの一人二役で演じ続けているのが凄まじい。根っこは同じだけどちゃんと個別のキャラクターとして成立していて、私はスタッフロールやパンフレットを見た際に個別にクレジットされていないことに違和感を覚えるほどだった。

作劇上でもこの設定はかなり有効活用されている。自分自身と向き合う、っていうドラマはごまんとあるけど、過去を振り返ったり自分と似た人間を見るのではなく、物理的に過去の自分と向き合い続けるという身も蓋もない見せ方が面白い。

また、過去バリーが能力を習得する過程で疑似的にオリジンストーリーをやってるのも良くて、これが中間部に差し込まれることでオリジンものにありがちなテンポの悪さが解消されているのがかなりクレバー。コスチュームへの着替え方や物質透過などの特殊能力を序盤で見せつつ、この中間部で改めて説明するという運び方は画期的だと思う。

掛け合いも見ていて楽しくて、現在バリーが過去バリーのウザさに辟易したり、過去バリーだけが話についていけてなくていちいち驚く様が良い。徐々に互いをリスペクトするようになり、友情を育んだからこそ、クライマックスの悲痛さが際立つ。

未熟ながらも善良だった過去バリーが暴走してしまったのは、ブルースが言う所の「過去の傷」を持たないこと、有体に言ってしまえば苦労知らずだったことが原因といえる。年若く、両親が健在なこともあるが、現在バリーから能力を授けられ技術を教わった彼は、試行錯誤を経てそれらを身に着けた現在バリーよりもその全能感に溺れやすかったと見える。

過去の自分の暴走を止めきれない現在バリーの姿も切ない。母のいる世界を作ったのも過去バリーに能力を授けたのも自分で、すべての原因が現在バリー自身にあるのがかなり痛い。その上、自分が何が何でも守ろうとした母を諦めろと、過去の自分自身に告げることがいかに辛いことか。ダークフラッシュと化した自身から現在バリーを守った過去バリーにはまだ人間性が残っていたのが救いか。

スーパーでトマト缶を戻すシーンもすごくいい。散々お祭り騒ぎした後でも、ちゃんといちキャラクターのドラマに着地するのが良い。過去のノラと期せずして会話してハグまでした現在バリー、このシーンはささやかな幸福感と同時に、親子としては対面できず、スピードフォースの中でしか母への愛を伝えることができない切なさが描かれていてとても良い。高速ヒーローなのに遅刻がちなところもだけど、万能とも思える能力を有しながら上手くいかないことばかりなのは、ヒーローのドラマとしては王道よね。

余談だが原作ではフラッシュの宿敵であるリバースフラッシュが母親を殺害した設定があって、本作での登場が予想されていた。まだ出せる余地は残されているけど、今回はバリーが自らの過ちに向き合う話なので、少なくとも本作には出さなくて正解だと思う。

二人のバットマンとスーパーガール

本作は二人のフラッシュに加え、二人のバットマンとスーパーガールが登場する。

過去のDCEU作品から続投となるベン・アフレックバットマンは、数分間のみの登場であることがアフレック本人から語られていた。彼が好きな自分としては残念に思っていたが、実際にはその数分間で非常に重要な役割を果たしており、ファンとして満足のいく活躍が見られた。

アクションシーンの素晴らしさは前述の通りだが、ドラマ面でも非常にいい味を出している。バリーの父の無罪の証拠を探したり、話を聞きにわざわざ家の前まで行ったりと、兄貴分としてなかなか親身に振舞っている。JL結成時にバリーは彼のスカウトを快諾しており、メンバー集めに苦労していた彼に可愛がられていても無理はない。

また、過去に親を亡くしたトラウマが共通しているのも大きい。DCEUのジャスティスリーグのメンバーは全員が親を喪った経験があり、その共通項を拾ってくれたのが嬉しい。ベンアフがバリーに送る「過去の傷が今の我々を作る」という教えは本作の根幹を成すもの。本作の主要な登場人物のほとんどが過去のトラウマに囚われており、本作はバリーが過去のトラウマを克服し未来に歩き出す物語だから。

これは深読みだけど、終盤でサプライズ的に登場するキャラクターの人選を見ると、この言葉は過去のDC映画に向けられているようにも聞こえる。俳優に起こった不幸や没になった企画の数々、そして現在のDCEUの迷走ぶりなど、問題を挙げればきりがないが、それらを踏まえてこそ新たな作品がより良いものとして生まれてくる。どうにも私はこの手の歪な歴史を肯定するようなメッセージに弱くて、表面的なファンサービスや詭弁として切り捨てられないんだよな。(仮面ライダージオウの劇場版とか、グリッドマンユニバースとか、スパイダーバースとか。)

バリーの食事の誘いへの「また今度な」という返答は、この役・このシリーズに対するアフレック自身の別れの言葉のようで目が潤んでしまった。ただ、ここで彼がバリーを受け入れていれば、本作の事件は起こらなかったのではないかという気もする。彼は彼でトラウマに由来する孤独を引きずっていたのかも。

バリーにより変化してしまった世界では、『バットマン リターンズ』(1992)ぶりにマイケル・キートンバットマン役に復帰する。御年70歳ということを感じさせず、戦う目的を見失った牙の抜けた獣と、鋭い目つきの戦闘狂の姿の両方を好演している。

彼は彼で、両親が戻ってこないことを理解しながら戦いに明け暮れ、挙句の果てに生きる意味を見失った経緯から、まだ若く母親を取り戻したバリーに目をかけている。仲間もおらずアルフレッドをも失った彼はベンアフ以上に孤独で、闘いに臨む姿は頼もしいが死に場所を探しているような切なさも帯びている。

キートンのスパゲッティを用いたマルチバースについての説明は印象的で、彼は作中でたびたび言及される『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのドクの役割を担っているといえる。なぜ彼がタイムトラベルとマルチバースに詳しいのか、他の人の考察で興味深かったのが、彼自身が過去にタイムトラベルを試みて手酷い失敗をしたのではないかという仮説。言われてみれば説明の投げ槍感は自嘲とも取れるし、すべてを失った彼が過去に縋ろうとしたとしても不思議ではない。今後言及があればいいが、出演が予定されていた『バットガール』が公開中止になったことを思うと望みは薄そう…。

コロンビア系のサッシャ・カジェが演じるスーパーガール。スーパーガールは金髪白人のイメージがあったけど、実際見てみると全然アリだった。スーパーマンの親類というよりも、ウェーブ気味の黒髪と陰のある眼つきはむしろヘンリー・カヴィル演じるスーパーマンの女性版そのものに見える。

端正な顔立ちもさることながら、特筆すべきはそのスタイル。マントをはためかせ空を飛ぶシーンがそれはもう美しくて、まさに超人という説得力がある。バリーを空へ運ぶシーンは、暗い表情と激しい嵐がマッチしてて、あのシーンだけは彼女の世界が出来上がっててとても良い。バリーが別時間軸のバットマンとスーパーマンという、2大トップヒーローの助けで力を取り戻す展開も熱い。

カヴィル版は悩んでばかりでスーパーマン本来のポジティブなアイコンになり損ねてしまった。今回はゲスト的な立ち位置が丁度よく、却って怒りと復讐心剥き出しなのが清々しく様になっている。カヴィルと並んでるとこ見たかったなあ…。死んだと思ったカル=エルに出会って、本作とは違う和らいだ表情とか見せて欲しかったなあ…。

実をいうと公開前はなんでスーパーガール?バットマンだけで良くない?と思ってたんだけど、劇場で見たらもう黙るしかなかった。彼女の存在感もだし、何よりスーパー○○とバットマンがそろい踏みするだけで安心感が凄まじい。流石はDCの2大巨頭。

タイムトラベルを扱う本作で、過去にバットマンを演じたキートンに対し、まだ誰も見たことない=未来のスーパーガールという対比が、年齢も合わせてで気が利いている。

キートンはアルフレッドを喪った孤独と戦う意味を失った虚無感、カーラは母星を喪った経験という、それぞれのトラウマによる正史に比べ一段と暗い性格も共通していて、意外と人選に必然性がある気もする。

ゾッド将軍は割を食った感じ。彼は話を進めるための強敵ポジションで、本作は真のラスボスが過去のバリー自身なのでこのポジションに新キャラを使うと話が散らかってしまうから既存キャラということなのだろうが、まあ誰でもいいっちゃいい感じで掘り下げはなく、ほとんど災害でドラマはない。『マン・オブ・スティール』(2013)では、彼には彼なりの信念があったのでこの扱いは残念だ。

ゲストキャラクターについて

マイケル・キートンバットマンの登場が既に明かされていたので、本作は当然「それ以上」のサプライズが期待され、実際に数多くのカメオ出演やCG再現による過去キャラクター登場が多数ある。

私はこの手のサプライズはMCUで見飽きた節があり、機体どころか少しうんざりしているのだが、本作は割といい塩梅だった。キートンバッツを除けば長時間登場することもなく、変に全員集合させようともしていないのでリラックスして観られた。

特に良かったのはワンダーウーマンキートンと揃えてオールドファン狙いで来ると踏んでいたので完全に不意を突かれた形だったが、やはり嬉しかった。このような便利な助っ人を何の説明もなく気軽に登場させられるのってシネマティックユニバースの強みといえ、意外にも前例はほとんど思い浮かばない。大抵はクロスオーバー企画にメイン級で登場するか、あるいはありがたがれと言わんばかりにポストクレジットで登場する。このゲストを大事にしすぎる風潮に私は窮屈さを感じていたので、今回の気軽なワンダーウーマンの扱いはかなり好印象。こういうのをもっとやればいい。

あとはジョージ・クルーニー。『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997)に特別な思い入れはないのだけれど、こちらも全く予想していなかったので何だか得をした気分だった。MCU以降他作品からのサプライズゲストが定番化したが、本来カメオ出演のゲストなんてこんなもので、「この人が出るはず」なんて予想してかかるのは不健全だと思う。出ないと損した気分になるので。飽くまで私個人の意見だが。

よろしくない点は、一部キャラが登場しない理由がメタ的に察しがついてしまうノイズになること。ジャスティス・リーグのメンバーではスーパーマンとサイボーグが未登場だが、スーパーマンヘンリー・カヴィルは先日スタジオの体制変更を受けて同役への復帰が白紙になり、サイボーグ訳レイ・フィッシャージャスティス・リーグ撮影時の問題を巡ってワーナーとは確執がある。また、ダークナイト3部作でバットマンブルース・ウェインを演じたクリスチャン・ベールは「ノーラン監督が関わるなら検討する」と発言しており、本作への出演は難しいだろう。こういった理由がちらつき、「出していない」のではなく「出せない」と考えてしまってノイズになった。

食事

ちょっと脱線気味だけど気になることがあって、この映画は「食事」への言及が非常に多い。まずこの映画はバリーが朝食のサンドイッチを注文するシーンで始まり、アイリスをディナーデートに誘うシーンで終わる。

フラッシュの能力の反動で代謝が激しいバリーは、高速移動中でも自販機から食べ物を取り出したり、通行人からホットドックを奪ったりと、ひっきりなしに食事をしている。これは能力を受け継いだ過去バリーも同様。

バリーが思い出す亡き母は得意のトマトソースを作っており、同時にそのトマトソースが悲劇の引き金にもなっている。過去改変後にバリーが母のトマトソースパスタを頬張り、家族との団欒を楽しむシーンはコミカルながら切ない。

また、役目を終えたベンアフがバリーの食事の誘いを断り去っていくのに対し、キートンが食事の提案をするところから協力関係を結んでいくのが対照的である。

家族やブルースたちとの食事シーンに顕著だが、本作は食事をコミュニケーションツールとして象徴的に用いている。しかし両親を失い、そのトラウマで友達も出来なかったバリーにとって食事は孤独なものだった。ラストシーンで彼はアイリスをディナーデートに誘っており、ようやくトラウマを克服し他者に心を開く用意が出来たことが暗示されている。本作を経て彼がようやく一歩を踏み出したことが食事の場を通して直感的にわかる、さりげなくも巧妙な演出だと思う。

まとめ

毎度のことながら書きたいことが多すぎて全然まとまりがなくなってしまったが、それだけたくさんの魅力を持ったいい映画だった。特にギャグとアクションの織り交ぜたテンポの良さと、個人のドラマから軸がぶれないバランス感は監督の手腕を褒め称えたい所。

シリーズ再編の先行きが全く読めないので続編はいまいち期待できないが、出来ることなら今一度アンディ・ムスキエティ監督とエズラ・ミラーのタッグによるフラッシュを観たいので、エズラ・ミラーにはどうにかして更生し、俳優業に復帰して欲しい。

『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』全体レビュー(ネタバレ抑え目) 

去る5月12日に発売した『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』(以下『TotK』)のレビュー。

ゼルダのアタリマエを見直す」というコンセプトで作られた傑作『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(2017)(以下『BotW』)をベースに、従来のゼルダに近くストーリーやダンジョンの比重が大きくなり、それでいて規模が大幅に拡大した本作は間違いなく、筆者の人生で遊んだ中で最も面白いゲームの一つ。

元々私がリニア好きなのもあるが、これがリアルタイムで何の評判も聞かずにプレイする初のゼルダなので『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(1998)を発売当時にプレイした人の気持ちがわかったような感覚だった。

本記事ではこのゲーム全体についての私の感想を述べることにして、ネタバレについては序盤~中盤までに抑えようと思う。ストーリーや設定については別記事で語ることにする。

前作よりも広大・高低差のあるフィールド

本作は当初『BotW』の続編として発表されており、前作の世界を引き継ぐことがわかっていた。前作は探索が最大の楽しみの一つだったが、マップを引き継いだ『TotK』における探索が目新しさを欠いたものになってしまうことを懸念する声も多かった。しかしそれは全くの杞憂だった。

広大なハイラルの大地に加え、トレーラーで印象的に映っていた空島の数々、そして地上と同じ広さの地底世界の3層からなる本作のマップは、広さだけで言えば前作の倍以上という破格のボリュームを誇っている。

その規模もさることながら、本作のマップが何より素晴らしいのは3つの層がシームレスに繋がる重層的な構造。前作『BotW』における探索は、山の頂上から谷底まで、目に見える場所ほとんどすべてをくまなく探索できることが何よりの魅力だった。そのような高低差を活かした探索の流れを汲みながら、別次元といえるほどに拡張したことが本作の最大の魅力だと思う。

空島

空島では地上には見られない植生、ゾナウ文明の遺跡やゴーレムが存在する。

稲穂を思わせる黄金色の景色が印象的で、個人的には黄色基調という点でセピア色が印象的な『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』(2006)を思い出した。あれよりも明るく、それこそ天国のような幻想的な雰囲気がある。

ゾナウ文明の遺跡は石造りで、古代シーカー文明のものより遺跡感がある。遺跡のギミックは建物の一部を動かすような大規模なものが多く、『時のオカリナ』を始めとした歴代ゼルダの神殿を思わせる。

空島は全体的に見ればチュートリアルのための「始まりの空島」以外はまばらで、広さはそこまでではない。前作の祠チャレンジのような謎解きやアクションのためのフィールドといえ、遺跡片や鳥望台(後述)を用いて地上から飛び上がって都度訪れることがほとんどだろう。

地底

ハイラル城地下のミイラを発見するオープニングから地底世界の存在は予想していたが、まさか地上と同じ広さのマップが用意されるとは…。

天変地異によって各地に空いた「深穴」に飛び込んで入る地底世界は普段は真っ暗闇で、触れ続ければ体力の最大値が減少する「瘴気」が地表を覆っている。そのためアイテムなどで明かりを灯しながら瘴気を避けて進むという、地上とは一味違う探索を求められる。各地に点在する「根」を開放することで周囲が照らされ、マップが記録される。根の位置は地上の祠に対応しており、地上と地底の探索は相関関係にあると言える。

洞窟と井戸、鳥望台

地上にも前作から変化があり、洞窟や井戸の中などの地下空間が新たな遊び場として追加されている(私が当初想定していた地底はむしろこっち)。枝分かれした道や不安定な足場など、こちらは旧作ゼルダを思い出すアスレチック的な遊びごたえがある。

前作のシーカータワーに相当する「鳥望台」は、リンクをはるか上空に打ち上げ、プルアパットで直接撮影した情報をマップとして記録するというとんでもない施設。ばかばかしさとロマンの合わさったその演出もちろん魅力的だが、機能面でもシーカータワー以上に重要。リンクがかなりの高度まで射出されるため、空島への主要な移動手段となる。また、前作から長距離移動にはうってつけだった「高所からの滑空」がこの施設により格段に使いやすくなっている。

その他にも、主要拠点となる「監視砦」がハイラル平原に建設されており、既存の集落にも様々な変化が起きており、前作との比較も楽しみの一つ。

アクション

前作の謎解きに用いられていたシーカーストーンの能力に相当するものが本作にも存在する。リンクの右腕に宿った特殊能力は前作の比較にならない程強力で、どれもが移動や戦闘に幅広く応用が可能なので、一つの課題に対して複数の答えが用意されているのがもはや当たり前になっている。

何が凄まじいって、あらゆる地形やオブジェクトに干渉できることが売りの『BotW』のフィールド一つだけでもいちゲームのテーマになりうるとんでもない自由度の能力を複数同時に実装していること。どれもこれもがバグの温床だろうに、普通に動いているだけでもすごいのに、本当に大抵の思ったことは出来てしまう

見た目のインパクトも前作以上で、カッコいいアクションやばかばかしい武器や乗り物がいくらでも生み出せる。個人的に前作の探索・アクションは少し地味でスローな印象があったので、これは本作の特殊能力が特に自分好みな点。

トーレルーフとダイビング

なんともバグじみた絵面だが、紛れもなく正規の能力。

天井がある場所から上の階層へと潜り抜ける「トーレルーフ」。洞窟から山頂まで一気に移動したり、直上に並ぶ空島を飛び移ったりと破格の移動性能を持ち、条件さえそろえば崖登りとは比べ物にならないスピードで上昇することができる。また祠やダンジョンがこの能力を前提にした重層的な構造になっており、謎解きの複雑化にも大きく寄与している。恐ろしいことに材質によって潜り抜けられないということがなく、後述のスクラビルドやゾナウギアで作り出した足場をも潜り抜けられるので、何もない場所を登るような動きさえ可能である。

大地が近づいてくる感動。

また、本作は落下する際に手を広げる専用のモーションが追加されており、Rボタンで加速することができる。単なるモーション追加に思えるが、前述のように高所からの滑空・落下は有効な移動手段であり、豊富な上昇手段に対して加工手段はパラセールによる滑空とダイビングの2択しかない(そしてがんばりゲージの関係でパラセールを広げ続けることはほとんどない)。そのためダイビングを行う機会は非常に多く、そこに専用のかっこいいモーションが追加されたことで探索に前作にはない爽快なスピード感と緩急が生まれている。

舞い上がった水しぶきが小さな波紋を描く。

チュートリアルからタイトルロゴ、地上への降下時など印象的な場面で繰り返し使用することになる。また、落下のダメージを緩和するために着水するよう誘導されるのだが、前作にはなかった水しぶきの演出が本作では追加されている(これは筆者の友人がトレーラー時から注目していた点で、ダイビングの強調され具合を思うと慧眼だった)。さらに、上昇気流の中ではパラセールが上昇手段になるので、前作を象徴するパラセールと対を成すアクションともいえる。パラセールともども、特殊能力ではない単なる移動手段をここまでかっこよく、作品の顔として演出できるのは流石としか言いようがない。

ウルトラハンドとゾナウギア

定番の造形物である飛行機。

ウルトラハンド」は所謂クラフト要素で、物と物を接着して新たな物を作る能力。各地に設置された資材や丸太、果ては武器やアイテムまで様々な物を接着することができ、かなりの自由度がある。それでいて接着できる角度や位置が決まっており、過度に精密な操作を求められることもない絶妙なバランス感で、クラフト系ゲームになじみのない筆者でも抵抗なく遊ぶことができるのが嬉しかった。

この能力、組み立てる際に対象物を持ち上げて動かすので、この時点で射程の短さ以外は前作の「マグネキャッチ」の上位互換であるというとんでもなさ。本作の自由度が前作とは別次元だということを思い知らされる。

この能力が真価を発揮するのは、バッテリーを消費し様々な機能を発揮する「ゾナウギア」を使用したとき。トレーラーではスクリューのついたイカダやタイヤで走る飛行機、ハンドルで操作するロボットのようなものまで確認できたが、ゲーム本編に登場するゾナウギアの機能は想像を大きく上回り、前作のシーカーストーンの能力並みの利便性を持つものがいくつもある。特筆すべきはその数、ゲーム中盤まで種類が増え続け総数はなんと36種類。しかも携帯可能なカプセル版まで存在し、旧作ゼルダでダンジョン一つを支配していたようなギミックが持ち運び・組み合わせ可能という、まさに無限大の可能性を持った能力である。

スクラビルド

冒頭に起こった天変地異による瘴気で朽ちてしまった武器の攻撃力を補う能力が「スクラビルド」。武器や盾の先にアイテムや別の武器を接着し、攻撃力や射程、耐久力を補うことができる。また、矢の先にアイテムを接着して撃つことも可能で、前作ではそれなりに貴重だった属性武器・矢がその辺にある木の実や魔物の素材から作れるようになったのが大きい。素材の中には特殊な効果を発揮するものもあり、戦闘の幅が格段に広がっている。

画像は「火炎の実」だが、炎の矢を作れる素材は他にもある。

武器を敵から奪っては使い捨てる方針は前作からだが、最終的には強い武器を予め蓄えておくような戦い方になってしまい、上手く落とし込めていないと筆者は感じていた。スクラビルドによる武器の使い捨てのサイクルの短縮化とバリエーション豊かな戦闘で本作では上手く昇華されている。

地味に嬉しいのが、十字キー上にアイテム使用が割り当てられたこと。前作ではシーカーストーン能力の切り替えが割り当てられていたが、これは個人的には混線を起こしがちで好きじゃなかった。本作では右腕の能力の操作がLボタンに集中し、各十字キーが消耗品の切り替えという点で一貫するようになり、直感的に操作できるようになった。

モドレコ

選択した物体の時間を戻す「モドレコ」はいかにも謎解き用の能力だが、効果範囲の広さと巻き戻し時間の長さがかなりのもので、そして例によって様々な物に使用することができ応用の幅がある。

空から落下してきた遺跡片に使用することで、足場として空まで運んでくれる。一部の敵の攻撃に対しては、そのまま攻撃として返したり、高所の敵へ近づくための足場として利用できる。さらにウルトラハンドなどで自分が動かしたものの動きもしっかり巻き戻すことができるので、ちょっとしたミスのリカバーからインチキっぽい動きまでかなりのポテンシャルがありそうだ。

設定・ストーリーなど

王道のストーリー・ダンジョン

本作は自由探索型の『BotW』をベースにしつつ、ストーリーやダンジョン攻略に重きを置いており、冒頭でも述べたように従来の3Ⅾゼルダに近い印象を受ける。

本作のストーリーは、冒頭で行方不明になったゼルダの捜索と復活したガノンドロフの打倒という最終目的が明確であり、チュートリアル終了後も地上の各地方で起きた異変を解決するよう誘導される。

各地方で攻略することになるダンジョン「神殿」は、ゾナウ文化と各地方ごとの特色を併せ持った巨大な建造物である。前作の「神獣」はモチーフの動物しか外見上の差異がなかったのが不満で、所在・形状・サイズ感に様々な個性の出た神殿たちは、特に初見時はその美しさに感動した。

続編ならではの捻り

一方で本作、シリーズでも数少ない直接の続編ということを活かして、攻めた部分も多い。

トレーラーでも印象的な、右腕とマスターソードを失い髪を下したリンクの姿は、傷ついたヒーローが好みの私にはかなり刺さるビジュアル。前作での活躍を踏まえればこそそのリンクが力を失う今回の敵の危険さをが伝わるというもの。

その一方で、リンクを支える環境がかなり整っているのも本作ならではの特徴。瘴気の調査のために新たに建造された監視砦、各集落もそれぞれ事件に主体的かつ組織的に対抗しようとしているというのはシリーズでもかなり珍しい。厄災の去ったハイラルでは復興が進んだからこそ映える描写だと思う。

総評

3層からなるフィールドは前作の高低差を活かした探索を別次元にまで拡大し、万能ともいえる特殊能力の数々は視覚的な面白さも際立っている。それでいて前作よりもストーリーの比重が大きく、革新的なボリュームと自由度を持ちながら王道を往く本作はかつての『時のオカリナ』もかくやと思わせる会心の1作。

冒頭でも述べたが、ネタバレ込みでストーリーや設定について語る記事も後日アップするので、読んでいただけると嬉しい。

『ウルトラマンブレーザー』特報を見て

4月21日に新番組『ウルトラマンブレーザー』の特報と監督・主演俳優のインタビュー動画が公開された。これまでのウルトラマンを連想させる要素も多いが、総体としては新しいものに見えてかなり期待が持てる。何より『エックス』『オーブ』『Z』と傑作続きで、私も大ファンの田口清隆監督作品ということで今から楽しみで仕方がない。

現時点の情報だけでも面白そうな要素が満載なので、書き出してみようと思う。

温故知新を感じるが、明らかに異質なデザイン

スーツのデザインは今までにないタイプで個人的にもかなり好み。全体としてはアシンメトリーだが、よく見れば銀色の肉体(便宜上、以下「素体」と呼称)は左右対称で、非対称なのは結晶体及びラインのみ。これらはそれぞれ根本的に違うものなのではないかと私は考えている。

素体は黒いスーツ状の部分を銀色の筋肉・鱗のようなものが覆っているようで、起伏があり硬質に見える。素体だけならザ・ネクストやノアにかなり近い。

目付きはかなり鋭く、目元に皺まであってかなり強面。トサカも流線形で鋭利なもので、攻撃的・野性的な印象を受ける。

身体の主に左半分に広がるラインは赤と青の二色が絡み合ったようなもので、動脈と静脈を思わせる。必殺技の説明にある「二重らせん」という言葉を見るに遺伝子のイメージもあるらしい。注目したいのはこのラインがこのラインが素体の起伏に沿うのではなく跨ぐように流れていること。また結晶体は目元からあふれ出すように伸びており、同じく結晶体を組み込んだデザインのギンガやビクトリーと違い異物感がある。

ラインと結晶体、どちらもかなり不自然でまるで素体を侵食、あるいは束縛しているかのようだ(NARUTOの呪印のイメージ)。昨年の『デッカー』のスフィアを宿したアガムスのイメージに引っ張られてる節はあるが。

人間とはかけ離れた、神秘的かつ野性的なアクション

登場シーンらしき映像ではヨガのようなポーズを取っていた。『コスモス』の太極拳を思い出す。身をかがめる動きが『ガイア』のフォトンエッジっぽい、というのは流石に考えすぎかな。

格闘戦は、大きく身体をひねった飛び蹴りを始めとして荒々しさを感じる。声も掛け声というよりは唸り声ジード以上に獣っぽい。人間とは違う生物であることを強調してる点では、『シン・ウルトラマン』とはまた違ったアプローチでいい。

必殺技は光の槍を投擲する「スパイラルバレード」とのことだが、インタビューによると使い方にかなりバリエーションがあるよう。『エックス』のザナディウム光線の再来か。

あと田口監督はこれまでの作品でスペシウム光線系をかなり大切にしてくれているので、それがないことにつては別に心配してない。強化形態でやってくれると確信している。

理想の変身アイテム

変身アイテムの「ブレーザーブレス」はめちゃくちゃ好み。

まず個人的に、メカメカしいものよりも、スパークレンスやエボルトラスターのような神秘的な石っぽいやつが好きなので今回のはストライクど真ん中。

ギミックに関して、回転を意識したアイテムにはルーブジャイロの前例があるが、今回はモロに仮面ライダーっぽい回転、というかドライブドライバーそのもの。

ドライブドライバーはギミックが大変魅力的ながら、ベルトさんのキャラクター付けやブレスレットとの赤外線通信を不要に感じ、キャラクターとしてもチェイサーが好きだったため購入を見送っていた自分にとってブレーザーブレスはまさに求めていた玩具といっても過言ではない。ありがとうございます。

コレクションアイテムのブレーザーストーンは円形にウルトラマンの横顔と、ウルトラメダルに類似する部分が多い。設定上も関係してきたりするのかしら。

歴代ウルトラマンの変身遊びを組み込むのは通例化しているが、音声と発光パターンで表現していた昨年までと比べ、今年は個別のアニメーションまで用意されている。しかもキャストボイスが20名分収録されているという豪華さ、もう買わない訳にはいかない。

SF的空気感、大人を主人公としたドラマ

SF的な雰囲気の醸成も良い。ニュージェネも作品によってそれぞれ努力してたけど、作り手が子供番組と舐めてかからず真剣に面白い雰囲気を目指すのはすごく大切なことだと思う。特報冒頭の、主人公が高空から落下している場面と思しき映像がカッコいい。映っているのは地上だが、都市の明かりが星空のようで、まるで天地が逆転しているようで印象的。落下しているのは人間だが、宇宙のような神秘性を地球の都市に見出しているとすればむしろこれは異星人の視点なのではないか?と思わせる。

防衛隊の隊長がウルトラマンに変身するのは、『オーブ』のクレナイ・ガイ、『Z』のヘビクラ隊長の系譜の集大成のようで感慨深い。

中間管理職として、いち個人としての板挟みがドラマの肝になるよう。『仮面ライダー響鬼』の「仕事感」が大好きだったので、少し角度は違うだろうがすごく楽しみ。

特殊怪獣対応分遣隊「SKaRD」は『Z』のストレイジとあまり違わなそう。ストレイジの頃からだが、「特空機」「特戦獣」みたいな用語は、硬派で難しいかっこよさと、子供への伝わりやすさの折衷にかなり気を遣っているのが伺える。フリガナも振ってるし。

SKaRDの主力兵器「23式特殊戦術機甲獣 アースガロン」は、まさかまさかのオリジナル怪獣。『Z』でセブンガーのアイドルプロデュースに成功した手腕を買われたのか、来るところまで来た感じ。いきなりDX玩具の発売も決まっており、「防衛隊は売れない」ジンクスはどこへやら

デザイン面ではウルトラマンに味方をする怪獣であり、後ろに伸びた角と大きな口、長い首という共通点がある『ティガ』のガーディー、『ガイア』のミズノエノリュウが思い浮かぶ。

まとめ

以上、思ったことをつらつらと書いてみた。見ての通り、期待しかない。

新作発表のたびに前作までのハードルを超えてくる田口監督の引き出しの多さと向上心の高さは本当に人間として尊敬する。ウルトラマン制作陣や視聴者の中であまりに田口監督一強な感じが出過ぎているのは少し不安だが。

『シン・仮面ライダー』感想:スッキリはしないが好きな映画

映画『シン・仮面ライダー』の感想。庵野監督による日本特撮作品の3度目のリメイクにして、現状最後の作品。

率直に言って問題だらけの作品だが魅力がない訳じゃない。その魅力も突き抜けたものとは言えないながら、しかし鑑賞後には何故か清々しさが残った、そんなよくわからない映画。まあ私は庵野作品が好きだし仮面ライダーが好きなので、相当な文脈と忖度の上で欠点を見逃している自覚はあるのだが。

以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

仮面ライダー

仮面ライダーがかっこいい。これは本作最大の魅力である。

同じく萬画版を強く意識した『仮面ライダー THE FIRST』(2005)と比べるとアレンジは抑えめであるが、より荒々しく洗練されていない泥臭さが特徴。また、マスクとバイクの描写はかなり力が入っており、「仮面ライダー」の名を忠実に体現しようとしている。

「ガワ」への原点回帰

TV版に忠実にディティールを追加したようなデザインは原典の秀逸さを再確認させるものではあるが、これ自体が飛びぬけて魅力的なわけではない。

重要なのは、ほとんどのシーンでスーツアクターではなく俳優自らがスーツを着て演技をしていることだ。型にはまらず、ときに不格好にさえ映る「中に人がいる」感が、元々あった不気味さを再解釈した異様な存在感を生み出している。

シン・ゴジラ』(2016)も『シン・ウルトラマン』(2022)も、モーションキャプチャーを利用した人っぽさが不気味な魅力を醸し出していたが、本作ではついにガワという特撮の原点に回帰し、人っぽい不気味さを最大限に発揮している。また、飽くまで別の生物であった前2作と違い設定からして人間が着るスーツなので、俳優が入ってアクションを行うことに必然性があるのもいい。

なお後述するが、私は本郷猛が変身する仮面ライダーについてどうしても「第1号」という呼称を使いたくない。かといって「仮面ライダー」だと一般名詞と区別がつかないので、便宜上「本郷ライダー」、合わせて第2号を「一文字ライダー」と呼ぶことにする。

不気味なデザイン

彼らの仮面に共通する構造として、首元が大きく開いており、髪や肌が露出する。それにヘルメットのサイズが大きいのかずれたり傾いたりするので、どこを見ているのかわからないような瞬間がある。喋るのに合わせて顎(クラッシャー)も動き、まるで髑髏のようで気持ちが悪い。

また、彼らの台詞はマスクを着けたまま話している声をそのまま録音しているようで、はっきり言って聞き取りづらいが、それも味わい深かった。

本郷ライダーと一文字ライダーはそれぞれコートを羽織った姿も登場する。ダークヒーロー的かっこよさと不審者のような不気味さを兼ね備えており、本作の仮面ライダーたちによく似合っている。私はアメコミ映画でたまに見るヒーロースーツ(マスク)×普段着の組み合わせが大好き(ナイトメアバットマンとかロールシャッハ、ルッキングラス)なので、仮面ライダーでもこれが見られて嬉しかった。

鬼気迫るアクション

大きくはみ出した癖毛が特徴的な本郷ライダーは小柄ながらがっしりしていて、力でねじ伏せる暴力的な戦い方でハチオーグ戦まではほとんど苦戦せず2、3発の攻撃で勝利しており、暴力装置としてのバッタオーグの危険性が伺える。特に印象に残っているのが返り血を浴びて戦闘員を殴り殺した後、宙返りで移動するシーン。仮面ライダーらしいスタイリッシュな動きが、バイオレンスの後だとこれほど異様に映るものかと感心した。

対照的に一文字ライダーは長身痩躯で短髪。やや姿勢が悪い細身のシルエットと、髪がない分首が細く、頭部が大きく見えるので、都市伝説の怪人やエイリアンを連想しかなり不気味。戦い方も対照的な敵の攻撃を機械的に受け流すスタイルで、K・Kオーグ戦では棒立ちのまま彼の仮面と鎌を破壊し完封した。

バイクシーンが多用されているのも好きな点。この映画自体がバイクに始まりバイクに終わり、ロケーションも印象的なものばかりで、バイク乗りではない私でも思わずバイクに乗りたくなる。ドラマ面でもマフラーがヒーローの象徴として扱われ、バイクも本郷とルリ子、緑川親子、本郷と一文字など人と人を結ぶキーアイテムとなっている。

物足りないCG

CGシーンは主に、仮面ライダーや怪人の改造人間としての能力の高さを描くのに用いられている。

TV版初期・萬画版をオマージュした、本郷ライダーのバイクに乗りながらの変身はとてもかっこいい。複雑な変形シークエンスや過剰気味な速度感が外連味たっぷりでいい。

またライダーキックもシンプルながら迫力があり、ただの飛び蹴りで人を殺すとはどういうことなのかということを突き詰めたような加速感がある。特にクモオーグ戦の、、派手なエフェクトなしで青空をバックに、8本の手足をはためかせながら高空から落下するキックはこれが見たかった!という満足感があった。

しかし、それ以外のCGアクションシーンは不満だった。CGモデルの質感や動きは悪くはないものの、やはり長時間続けて見るのは厳しい。生身のアクションでは特徴的な細かいカメラの切り替えがなくなっているのも冗長さの一因だろう。クモオーグ戦のライダーキック後に実写の宙返りを入れたように、実写とCGを交互に使ってくれればまだ見やすかった。

アングルの切り替えが多い大量発生型相変異バッタオーグとのバイクチェイスはなかなか楽しめたのだが、如何せん画面が暗く見づらいのが難点。またバイクを降りてからの格闘戦がやはり厳しかった。

萬画版のオマージュ

私は石ノ森章太郎萬画版「仮面ライダー」が好きなので、萬画版をオマージュしたシーンが多くて楽しかった。

特に、一文字による仮面ライダー継承萬画版でも一番好きな展開なので、それがラストシーンに使われたのには感動した。新2号ではなく新1号をモチーフにしていて、本郷ライダーとも一文字ライダーとも違う新しいライダーとして解釈しているのもいいアレンジだった。

そもそも萬画版での一文字は飽くまでもう一人の「仮面ライダー」であり、2号と呼ばれたことはない。1号2号という呼称は特撮版で二人を区別するための呼称であり、見方によっては本郷と一文字の間に序列をつけているようで、一文字のファンとしてはもどかしく思っていた。

だから私は、本作がただの一度も「仮面ライダー第1号」という呼称を使用していないことに多大な信頼を寄せている。1と2だと序列っぽいが、「仮面ライダー」に対する「第2号」ならば、「もう一人」というニュアンスを感じる。

一文字のキャラクターも良かった。飄々とした言動と内に秘めた信念の強さの二面性が萬画版っぽい。好きかどうかが行動基準というのはシンプルでいいし、そうはいいつつ恩義に報いる義理堅さも見せるギャップが素敵。独白や説明台詞が多い中で、きちんと一文字の機微を表現している柄本佑の演技も素晴らしかった。

庵野秀明作品として

本作はシン作品群の中でも一際庵野秀明らしい、身も蓋もない言い方をすれば最もエヴァっぽい作品だ。私は庵野作品が毎回エヴァっぽくなることについてはもう慣れたというか諦めたというかといった感じだが、別に嫌いではない。好意的に見ればむしろ本作は、庵野秀明の世界観がこれまでになくマッチしている作品だという感覚がある。正直上手く考えがまとまっているとは言い難いが、書いていく。

オーグと仮面ライダー

本作における怪人=オーグは個人のエゴのために力を使う存在であり、対する仮面ライダーはその力を多くの力無き人々のために使うことを願って作られている。大雑把に言ってしまえばオーグと仮面ライダーを分けるのは「他者性の有無」だといえる。しかし、本作、もっと言えば庵野作品の世界観はむしろ「他者性の欠如」が何よりの特徴である。

仮面ライダーが守るべき他者を描いていないのは不備というよりは自覚的、何なら自虐的とまで言えるかもしれない。緑川博士の言う「多くの力無き人々」はほぼ登場しない。また、ルリ子が父に見せられたという外の世界も、どのようなものか全く描写されない(できない)。具体的に描写することがないにも関わらず、本作はしつこいくらいに他者の存在に言及している。

まるで形だけ真似ても本質が理解できていない、仮面ライダーになりたがる怪人のようだ。ヒーローになろうとしてもなれない苦しみか、むしろ自分と決定的に違うが故の羨望かは定かではないが、本作には庵野監督の仮面ライダーへの屈折した、しかし切実な憧れが表れていると私は感じた。

庵野作品の意図を深読みしすぎると堂々巡りになって訳が分からなくなるのでこの辺にしておく。あまり整理できていないが無理矢理まとめると他者性を欠いた世界観で弱者を守るヒーローを描くという矛盾が面白くて、私はそこに仮面ライダーへの強烈な憧れを見出したということだ。

石ノ森キャラクター達の役割

そう考えると石ノ森作品を意識した本作オリジナルの登場人物たちにも、単なるオマージュ以上の意味をこじつける見出すことができる。

全人類との心中を企てるオーグの権化のような人物でありながら仮面ライダーを名乗る緑川イチローは、ある意味本作を象徴する人物なのかもしれない。盛りに盛った設定も深い意味があるわけじゃなく、ごっこ遊びをする子供そのままの無邪気な憧れの表れにも見える。

仮面ライダーの戦いを無感情に観測し続けるアンドロイドのKは、非人間的な世界観のフィルター、あるいはそのフィルターを通して物語を追う観客のメタファー。最終的に人間になってしまったキカイダーと、機械として生きることを選んだロボット刑事。それぞれをモデルにした「J」と「K」のうち後者が採用されていることも、本作の世界観と無関係ではないと思う。

まとめ

今回は好きなところばかりを語ったものの、最初に述べた通り問題も山積みな作品なので、かなり悩まされた。考えすぎてよくわからない感想になってしまっているけど、仮面ライダーのかっこよさ、そして庵野監督の仮面ライダーへの愛情の強さが見れたので満足なのは間違いない。

次回作は仮面ライダーに加えて、戦闘モードにアップデートしたK、良心回路を組み込んで再起動したJ、電気の力を加え防護服も不要なほどの強化を施した第2チョウオーグでチームアップして「シン・石ノ森アベンジャーズ」とかどうだろうか。

『スプラトゥーン3 エキスパンション・パス』が楽しみな話

2月9日のNintendo Directでは、目玉となる『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』を始めとして、数多くのNintendo Swich用ソフトの最新情報が公開された。その中でも私が一際心惹かれたのはスプラトゥーン3 エキスパンション・パス』だ。本記事では公開された情報を振り返りつつ、内容についての予想・期待を述べてゆく。

スプラトゥーン3初の大型有料アップデートであるエキスパンション・パスは、第1弾『ハイカラシティ』と第2弾『サイド・オーダー』の2種類が発表された。前作『スプラトゥーン2』(以下『2』)の有料追加コンテンツは『オクト・エキスパンション』のみだったので、ボリュームアップが期待できる。

イカラシティ

映像を見る限り、ハイカラシティには、各種ショップやイカッチャ、クマサン商会などの主要施設が揃っており、バンカラ街と同等のハブとしての機能を持っていると思われる。

ヒーローモードでは皆勤賞のシオカラーズもついにアイドルとして復活し、情報番組「ハイカラニュース」のパーソナリティを務め、フェス中のライブパフォーマンスも行う。

「エチゼン」や「アネモ」、「ダウニー」ら『スプラトゥーン』(以下『1』)のキャラクターが装いも新たに再登場する一方で、新しいキャラクターも見られる。

次々に支店をオープンさせ、現在はバンカラ街に店を構えている「ブキチ」に代わりブキ屋「カンブリアームズ」を切り盛りしているのは双子の「マメブキチ」「ツブブキチ」だ。

言うまでもなく『どうぶつの森』に登場する「たぬきち」の弟子(?)の「まめきち」「つぶきち」をオマージュしたキャラクターだが、こちらは師匠とは違う生物である。(ブキチはカブトガニだが双子はカブトエビらしい。)公式Twitterの説明によれば、雛鳥の擦り込みのような形でブキチに弟子入りをしたようだ。

コジャケといい勝負の非常に小柄な体と、大きくてつぶらな瞳は大変可愛らしく、シリーズの新たなマスコットとして戦いに疲れたプレイヤーの心を癒してくれるだろう。

もう一人の新登場キャラクターは「アジオ」。こちらも「ロブチャレンジ」で忙しい店主の「ロブ」に代わり靴屋の店番を務めているようだが、彼(?)の特徴はなんといってもその奇っ怪な姿で、「開いたアジのフライに顔と足がついている」としか形容のしようがない。

ロブとはフライをモチーフにしている点は共通しているが、あちらは顔や手足といったパーツが実際のエビに合わせてあるのに対し、こちらは魚類としての体裁を全く保てていない

生物ではなく食材として魚介類をモチーフにしている点では、タコ足に顔のついた「タコトルーパー」などのオクタリアンに近いかもしれない。

teapillar.hatenablog.com

本ブログのレビューでも述べているが、ゲームプレイよりも世界観に惹かれてシリーズに足を踏み入れた私は、前作以上にイカたちの文化に没入できるバンカラ街に感銘を受けた。拠点マップのスキン追加というシリーズ初の試みによって、本作のイカ文化がより多様なものになることは間違いなく、2つの街を行き来できるのが今から楽しみで仕方がない。

サイド・オーダー

賑やかなハイカラシティから一転して静かな音楽とともに映し出される真っ白なハイカラスクエアと一人の黒髪のオクトリング。映像の合間には、不気味で抽象的なイメージと、黒髪のオクトリング及び前作のアイドル「テンタクルズ」のメンバー「イイダ」と「ヒメ」のイラストが挿入されている。

イカラスクエアやオクトリングにテンタクルズと『2』に関連する要素が多く盛り込まれており、2つのエキスパンション・パスはそれぞれ旧作『1』と『2』に対応する形になっている。

更に、これがオクトリングが主役となるストーリーモードならば、『2』の『オクト・エキスパンション』の正統な続編と捉えることも出来る。

『サイド・オーダー』という名前は言葉通りの追加注文、即ち追加コンテンツと、『2』のファイナルフェスでイイダが属していた「秩序派」とのダブルミーニングだと思われる。

挿入されるイラストの一部

このタイトルの解釈を始めとして、前述のオクトリングの特徴的な黒髪や、オクト・エキスパンションで明かされたイイダの過去と類似する描写が多いためか、「サイド・オーダーはイイダの過去のエピソードではないか」という考察が数多くみられる。

黒髪のオクトリングがイイダかどうかは別としても、サイド・オーダーは過去の話である可能性は高いと私は考えている。前作に当たるオクト・エキスパンションのエンディングで主人公の8号はハイカラスクエアにたどり着き、イカ文化に順応するタコが現れ始めた。そして『3』の舞台となるバンカラ街では、既にイカとタコが完全に共存している。このように『3』時点ではオクトリングは特別な存在ではなくなっており、主人公がオクトリングであることを強調する意味は薄く、共存以前の過去の話になるのが妥当だと私は考えている。

イカラスクエアを覆う白い物質はその色と、生えている結晶(?)の形状からサンゴの死骸を思わせる。また、白い色自体が死に装束を連想させ、もやがかかったような幻想的な空気もあり、死後の世界のようでもある。

余談だが、『3』のヒーローモードは舞台を砂漠→氷河→宇宙と移すが、どれも生物には過酷な環境である。これは、人類滅亡後の世界を描くスプラトゥーンが元来持っている、ポスト・アポカリプス的な側面を特に強調するものである。その流れから見ても、サイド・オーダーが何らかの形で「死」のイメージを取り入れているという予想は的外れでもないのでは、と思う。

まだまだ謎だらけではあるが、『2』からスプラを始めた筆者としては、明確にタコをフィーチャーしているサイド・オーダーには期待しかない。続報が楽しみだ。

総括

予想外の2弾構成となったスプラトゥーン3のエキスパンション・パスは、『1』と『2』それぞれに焦点を当てつつ、世界観の拡張や新たな物語の追加など、対戦以外の幅広いファンにアピールするものになりそうだ。第1弾は2023年5月31日までに、第2弾は2024年12月31日までにそれぞれ配信予定。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』シーズン1感想:バトルもドラマも素晴らしいが、謎は残ったまま。

私がガンダムに初めて触れたのはおそらく、ゲームキューブの『機動戦士ガンダム ガンダムvs.Zガンダム』で、その後もスパロボなどゲームが中心で、TVシリーズガンダムを観ることも少なかった。

リアルタイムで観るのは『ガンダムビルドファイターズシリーズ』(2013~2015)とOVAを再編集した『機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096(2016)を除けば、機動戦士ガンダム 水星の魔女』が初めてである。

まだ折り返しではあるが、初のTVガンダム体験はなかなか満足のいくものになりそうだ。本編を視聴する決め手になった『PROLOGUE』の感想も置いておくので読んでくれると嬉しい。

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なお本記事、は前半はネタバレ抑え目でシーズン1全体の感想、後半はネタバレありで主に12話についての話を書いていく。

構成など

要点を押さえた無駄のない描写がテンポが良く積み重ねられるので、30分アニメ12話分としてはかなり内容が濃い。情報の出し方や順番も上手い。意外な引きを作りつつ翌週にはきちんと解決して信頼を得つつ、それでいて大きな謎はほとんど据え置きにして興味尽きさせない。

また特に巧妙だと感じたのが、ガンダムシリーズとの距離の取り方。ガンダム的な要素は取り入れてはいるものの、ガンダムだからと気負いすぎることなく、のびのびとやっているように見えた。プロローグから引き続き、現代的な再解釈をしつつも、直接的に似せることはしない感じ。「株式会社ガンダム」が象徴的だろう。ガンダム初心者でも見やすく、ガンダムファンは目配せにニヤリとしたり、意表を突かれたりして、幅広い層が楽しめるバランスだと思う。

有機的な人間ドラマ

本作の物語のテーマは、子供の親からの独立だと考えられる。我が子を操ろうとする親に不満を抱き、親の支配から抜け出そうと奮闘する子供たちが物語を牽引している。

ヒロインのミオリネ・レンブランは学園最強のパイロットである「ホルダー」の称号を持つ者との婚約を父親のデリングに決められている。当然彼女はこの状況を不満に思っており、学園からの逃走を企てる日々を送っていたが、主人公スレッタ・マーキュリーと出会ったことで変化が訪れる。スレッタの圧倒的な実力と「逃げたら一つ、進めば二つ」という信条に助けられ、ミオリネも進み始める。

私がこの作品の物語を楽しめたのは、スレッタとミオリネの等身大なキャラクターと、二人の関係性の順を追った変化がしっくり来たからだ。当初は成り行きと利害関係からスレッタと行動を共にしていたミオリネが、スレッタの内面を知るにつれ精神的に寄り添っていく。特に、それまで守られるばかりだったミオリネが、スレッタを守るために、自分を曲げてある行動をとる場面は本シーズンでも最高の名シーンだった。

余談だが、この二人には似た欠点があり、それは「他者の痛い所を突く」のが得意ということだ。ミオリネはあまりに的確な暴言として、スレッタは素直さが行き過ぎて煽りのような形でだが、御三家の御曹司たち全員が被害に遭っている。こういう欠点も人間味があって、当該シーンでは大いに笑わせてもらった。

また、スレッタの前の「ホルダー」でありながらミオリネを軽んじていたグエル・ジェタークが、スレッタの影響を受け、父の束縛を脱しようともがく様も良かった。自分の実力を認められたいプライドから衝動的に父親に反抗したものの、一度の行動ですべてが変わることはなく、それでも一人前になろうとした彼は次第に御曹司としてのすべてを失っていく。彼の顛末は子供の人格形成への親の影響の大きさを生々しく感じさせるものであり、影の主人公ともいえるものだと思う。

ロボットアニメとして

本作の戦闘シーンは、回数こそ少ないものの、良質な作画と勇壮な音楽で彩られており、ケレン味たっぷりでどれも素晴らしい。

本作にはビット兵器を備えたモビルスーツが複数登場するが、特にエアリアルガンビットは意思を持っているかのような滑らかな動きが特徴的だ。

それでいてエアリアルの戦い方は、ビット兵器の集中砲火による四肢切断、相手の能力の無効化などスペックに任せたゴリ押しが目立ち、ヒロイックとは言い難い側面もある。

スレッタの力強い決め台詞や逆転のシチュエーションなどのヒロイックな演出と、それとはミスマッチなえげつなさ。これらはエアリアルの確かな個性として主役機の名に恥じない魅力を生み出している。

この魅力は前身(と思われる)ルブリスの頃からのもので、プロローグでルブリスに惚れた私としては、エアリアルの活躍は大変満足いくものだった。

難点は、活躍する描写は主役機であるエアリアルに偏っており、他の機体の印象が薄いこと。雑に言ってしまえばザクの不在である。エアリアル以外にも個性的な機体はいるものの、他の機体は繰り返し登場することさえ稀なのが勿体ない。

二面性

本作のキーワードは「二面性」だと私は考えている。

例えば、「逃げれば一つ、進めば二つ。」といういかにもポジティブなスレッタの信条はミオリネやグエルに影響を与えていく。後に、その裏には臆病な自分を鼓舞する意図があったことがスレッタから吐露される。しかし、それを聞いてもミオリネが勇気づけられた事実は変わらない。

このように本作は、登場する人物や技術、考え方など様々な物事の二面性をの両面を尊重してフェアに描いており、それらのキャラクターを厚みと説得力のあるものにしている。そして、それらをどう扱うか、という問いがドラマにも広がりを与えている。

ここから本編の具体的な内容(主に第12話)に言及していくのでネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

親子関係の決着

ミオリネはデリングを狙ったテロからの避難中、父が自分を庇ったことをきっかけに、父が自分に愛情を持っていたことを知る。ミオリネは負傷した父を庇いながら避難を続けるが…

株式会社ガンダム設立以来、会社経営という同じ分野での仕事を通じてコミュニケーションを重ねたことで双方ともに態度が軟化していたので、妥当な結末だろう。

というか、デリングの造形はかなり碇ゲンドウっぽいので、彼同様、その冷たい態度は不器用さ故で、実際にはで親としての情はあると予想した人も多かったのではないだろうか。

一方、家を出奔していたグエルは、偶然が重なりモビルスーツ戦の結果父を殺めてしまう。父の死の間際の言葉から、彼もまた父に愛されていたことを知った。

この時点でジェターク家御曹司としての恩恵を名前に至るまで捨てていたグエルが、最後に失うのが父親というのは一貫してはいる…とはいえあまりに突然な悲劇で、彼が今後どう立ち直るかが心配である。

スレッタを守るために父親の力を利用し、最終的に父親を守ったミオリネと、自分のプライドを守るために父親の庇護を失い、最終的に父親を殺めてしまったグエル。シーズン1の結果を見れば、スレッタに変えられた二人の辿った道は対照的だった。

残されたひとり

スレッタにもようやくスポットが当たり、これまで仄めかされていた親子間の問題が明らかになる。スレッタの母への信頼の大きさはわかっていたが、その盲目ぶりは常軌を逸していた。

彼女は、自分を守るためとはいえ母親が殺人を犯したことに動揺し、恐れていた。しかし、母の言葉により自分も戦場に出ることを決意する。その頃にはスレッタからは母親への恐れが消え、それどころか直前には忌避していたはずの殺人を何の躊躇もなく行うようになっていた。

倫理観さえも塗り替えてしまうプロスペラの言葉は、マインドコントロールにしても行き過ぎである。スレッタの精神は完全に親に従属しきっており、疑問すら感じていない。(あるいは、すぐに塗りつぶされてしまう。)端的に言って、彼女の精神はあまりに未成熟なのだ。

余談だが、この場面を粗筋だけ見れば、ヒーローの母親としては満点なのが皮肉が効いている。プロスペラは恐れから二の足を踏む娘を勇気づけ、結果スレッタはテロリストを撤退させ、地球寮の面々、花嫁とその父を守り切った、という見方もできる。

ここで私が注目したいのは、マーキュリー母娘の異常性が描かれつつも、問題の本質自体は現実の親子にも見られるありふれたものに落とし込まれている点だ。

スレッタの問題は、価値観を母親に委ね切ったその主体性のなさである。自分の価値観というものを持っていないのであり、異常な価値観を植え付けられたいるわけではなかった。実際彼女は、世間知らずなところはあるものの倫理や社会性が決定的に欠けている部分はこれまでは見られなかった。

スレッタに必要なのは、親からの借り物ではない自分自身の価値観を身に着けること、つまりごく普通の親離れの過程である。

残った謎

親子を巡る物語は進展を見せた反面、GUND技術やマーキュリー親子の過去などの大きな謎についてはほとんど何もわからないままで、それどころか地球の魔女まで登場して謎はむしろ増えたまま終わってしまった。これはかなり残念だ。

前述のとおり、引きを作っても翌週には解答を用意する手際の良さを私は信頼していたので、シーズンを通した布石回収の手腕にも期待していたのだが肩透かしを食らってしまった。これを超える盛り上がりはシーズン2最終回になるだろうが、それまでに風呂敷をたたみ切れるのか心配だ。

関連して、第12話Cパート、いわゆる「ハエ叩き」のシーンへの私の不満をぶちまけさせてもらう。このシーンではエアリアルを駆るスレッタが、ミオリネとデリングを殺害しようとする生身のテロリストを文字通り叩き潰す。上記のようにその直前にスレッタはプロスペラから「守るためなら殺人も止む無し」という旨の指導を受けており、スレッタとプロスぺラの関係の危うさがこれまでになく明確に示されるシーンだ。

物語上重要なシーンではあるのだが、流血描写が悪趣味に過ぎる。あそこまでやる必要性は感じず、ただインパクト重視でそうしているように見えた。そして何よりインパクト、悪く言えば「受け狙い」が、謎の回収より優先されたのが残念でならない。エアリアルの魅力であるヒロイックさとえげつなさの二面性ではなく、えげつなさだけが強調されるのも腑に落ちず、エアリアル好きとして受け入れがたいものだった。

今後の予想

「子供の親からの独立」を本作のテーマとするならば、ミオリネとグエルの物語は一つの中間地点に至った。その一方で、主人公のスレッタはスタートラインに立ってすらいなかった

私は本作のゴールは「スレッタとミオリネが結ばれる」以外にあり得ないと思っている。現時点でキービジュアルやOP/EDアニメから、ストーリーに至るまでスレッタとミオリネの二人だけを強調している以上、これより強力なゴールをシーズン2から提示するのは難しいのではないか。

この2点を踏まえて、シーズン2は花嫁(ミオリネ)が姑(プロスペラ)から花婿(スレッタ)を奪い取る話になると私は予想している。その意味では、シーズン1はミオリネの初戦完敗で幕引きとなってしまった形だ。今後のミオリネ、そして地球寮の面々やグエルの活躍を楽しみだ。

そして、エアリアル。結局ほとんど何も明らかにならず、漂う危険な香りは増すばかりだったが、かっこよさも衰え知らずだった。第12話で披露した改修後の姿は角ばった従来のガンダムらしい姿になり、より兵器としての純度が高まったことが示唆されている。彼はただの兵器なのか、スレッタとともに在り続けるのか、別たれるのか。今後のストーリーで彼がどう扱われるかが私の一番の楽しみだ。

『スパイダーマン:スパイダーバース』レビュー:アメコミ映像化の到達点

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(以下NWH)を観てからちょうど1年になる。幼少期にサム・ライミスパイダーマンを観て育った私はその内容に歓喜し、MCUもここまで来たか、と驚愕したものだ。

一方で私は、『NWH』と同じくマルチバースを題材にしつつ、MCUからは独立したアニメ作品の『スパイダーマン:スパイダーバース』(2019)を観ていなかった。この映画が公開した当時、『アベンジャーズ:エンドゲーム』(2019)を目前に控えたMCUに執心していた私は、「アニメはちょっとな」と劇場に足を運ぶことはなかったのだ。

それ以来いつか観よう観ようと思いつつ先送りにしていたのだが、正月に実家に帰ったタイミングで、弟のお墨付きもあって家族で観ることになった。

評判は聞いていたが、期待をはるかに上回る面白さだった。

映像面からストーリーまで隙がなく、その上個性もものすごく際立っている。これがシリーズものでなく単体で成立しているのが不思議なくらいだ。

以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

コミックをそのまま動かしたかのような映像

本作を表現するならこの言葉が最適だと思う。コミックの内容を映像に落とし込んだ所謂「映像化」とも違い、コミックがそのまま動いているような感覚。

コミック的な要素が映像からストーリーまで作品全体を通した軸になっており、映像作品としては単なるアニメを超えた個性を獲得することに成功している。

まず色遣いについて、背景の色が同じ場所でも場面によって緑からピンク、ピンクから黄色になるなど、配色が一定でない様はアメコミ独特のものではないだろうか。背景以外にもマイルスの趣味であるグラフィティから夜の街の灯、暴走した加速器いる。

また、陰影が3DCGにしてはくっきりし過ぎていて、スクリーントーンを貼ったかのようだ。人や物の表面にドット模様が見えるのもスクリーントーンをイメージしたものだろう。

更に、異世界から現れるスパイダーマンたちの中でも、ノワールは白黒漫画、ハムはカートゥーン、ペニーは日本のアニメを連想させ、漫画・アニメの表現のバリエーションを体現していて面白い。何より表情や挙動、質感から異次元の人物であることが一目でわかるのがアニメならではで、実写では困難だろう。

他にも、キャラクターの動きがどこかカクカクしていてパラパラ漫画のようになっていたり、吹き出しやコマ割りなどの漫画の技法がそのまま取り入れられていたり、コミックを意識した映像づくりが徹底して行われている。スパイダーマンたちの自己紹介に至っては各々が主役のコミックを紹介するという形で行われており、そこに主人公マイルスが加わったときの感動は忘れられない。

スパイダーマン好きならずとも楽しめるストーリー

キングピンの野望を止めようとした先代スパイダーマンが殉職し、同じくクモに噛まれ超能力を得ていた主人公マイルスは彼の後を託される。そんなマイルスの下に、加速器の影響で異次元からスパイダーマンたちが集まる。

本作のストーリーの軸はマイルスがスパイダーマンとして自立する、典型的なオリジンものであり、そこにマルチバースものとしての要素が組み合わされた形である。そうして展開される物語は、スパイダーマンらしいものでありつつ普遍的なメッセージも含んだ周到なものである。(この点は多くの予備知識を必要とするNWH、ひいてはMCUと対照的である。)

本作に登場するスパイダーマンたちのほとんどは、マイノリティであったり欠点を抱えていたりする、いわば不完全なスパイダーマンだ。堕落した中年のピーター・B・パーカー、女性のグウェン、色のないノワール、自分で戦わないペニー、人間じゃないハム。殉職した先代スパイダーマンがプライベートでもヒーローとしても成功していたのとは対照的である。

それでいて彼らは全員がスパイダーマンであり、スパイダーマンが避け得ない喪失と孤独を経験している。そんな彼らが力を合わせて戦い、自分は一人でないことを知って孤独を癒す本作は、そのまま自信のない人々やマイノリティの人々へのエールになっている。

また、特筆すべきなのがまとまりの良さで、オリジンとマルチバースを同時にやりつつ、きっちり2時間弱に納めているのが素晴らしい。オリジンとマルチバースの各要素が相互作用を起こして円滑に話が進んでいるからだろう。例えば、オリジンものには「ヒーローの活躍が遅くなる」という問題がつきものだが、本作は異次元のスパイダーマンを活躍させてこれを克服している。

更に、本作は説明シーンが非常にコンパクトだ。これは「漫画だから」許されることでもあり、何よりジョークですべてを片づけてしまえるスパイダーマンだからこそなせる業だろう。

総評

MCU全盛の中公開された本作は、その勢いに負けないだけの個性的で魅力的な世界を作り出した。それはまるでコミックがそのまま動いているかのようであり、単なるアニメ化とは一線を画している。ストーリーはスパイダーマンらしくも普遍的なものであり、誰が見ても楽しめる作品になっているといえるだろう。