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『ザ・フラッシュ』感想:超速ヒーローらしいテンポの良い快作

日劇場公開したDCコミックス原作の映画『ザ・フラッシュ』の感想。主演のエズラ・ミラーの度重なる問題行動やDC映画の体制変更など曰く付きの作品だが、トム・クルーズを始めとした業界人から絶賛の声が上がるなど、良くも悪くも注目作。

実際鑑賞してどうだったかというと、抜群に面白かった。

アクションとギャグを交互に畳みかける展開はスピード感があり、説明も台詞だけでなく映像を有効活用しておりテンポが非常に良く痛快。

また多数のヒーローが登場するお祭り映画でありながら、主人公個人の精神的変化に常に焦点が当たっており、フラッシュの単独映画としてふさわしいものになっている。

ただ一応補足しておくと、私は俳優の不祥事などのメタ的事情を全然気にしない鈍感な人間ゆえに楽しめているきらいは大いにあるので、気になる人には合わないかも。

以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

テンポのいいアクションと個性的なビジュアル

本作のアクションシーンは全体的に好きなのだが、冒頭のシークエンスが飛びぬけて素晴らしい

長ったらしい説明や湿っぽい自分語りもなく、開始5分足らずでコスチュームに着替え出動する話の早さが気持ちよく、アルフレッドとブルースとの会話でバリーの人物像が端的にわかるのも周到。

2人のヒーローが別行動し、個性的なアクションを交互に見られるのも楽しいが、特にヒーローには欠かせない「人命救助」をフラッシュとバットマンの両方が行っているのが重要。本作に限らず、タイムトラベルやマルチバースなどを扱って物語のスケールが大きくなる程このヒロイズムの基礎は忘れられがちだから。

ヒーロー映画の楽しさとキャラクター紹介を兼ね備えたシークエンスを映画の一番最初に見られるのがたまらなく贅沢で、この時点でもうチケット代の元は取れた気分だった。ヒーロー映画史上最高とまでは言い切れないが、少なくとも自分がここ10年で観た中では間違いなく最高の導入のひとつ

フラッシュに関してはかっこよくもダサいのが良い。能力を使う時にもギャグが混ぜ合わせられていて緊張感がないがテンポが良く、終始楽しく観ていられた。過去バリーがしくじっては現在バリーに窘められるという形で能力を一つ一つ紹介していくのも巧い。

走るポーズの妙になよなよしているし、スタート前のポーズなんかかなりシュールなのだがそこがちゃんと個性になっている。スナイダーカットでは人命救助とアシストには役に立ったものの戦闘にはほとんど関与しなかったが、本作では主役(しかも二人分)ということもあってかバリバリ参戦する。クリプトン人にも通用する打撃力に余波のエネルギーを利用した竜巻や電撃。耐久力は常人並だが高速治癒と物質透過まで可能で、攻守ともに充実している。割とアクアマンくらいならいい勝負できるんじゃないか。本作で電撃を用いた攻撃方法を戦闘中に即興で編み出したように、前作から様々な能力の使い道を研究してきたと考えられ、バリーの頭の良さが垣間見える。

後述のクロノボウルに登場するCG再現されたモデルにも言えることだが、高速移動中のバリーは他の人からは見えないので、常に窃視しているような背徳感を伴う。これはX-MENMCUクイックシルバーにはない、DCEUのフラッシュに特有の演出。スナイダーカットでのアイリスを救出するシーンに続き、特殊能力を通してバリーのクリーピーな側面を描いた印象的な演出。

コスチュームも片やぴっちり全身タイツ、片やバットマンスーツの魔改造とコスプレ感が強い。特に私はバットマン・コスチュームが好きで、赤い塗装と黄色い稲妻マークに過去バリーの現在バリーへのリスペクトを感じつつ、隠しきれないバットマンの面影に夢のコラボ感と背徳感が混じった独特の感慨がある。

最後の戦闘中、過去バリーの変化が視覚的に描かれてるのが良い。赤い塗装が摩耗して黒地が見えていくのを皮切りに、ジョーカーを思わせる頬の傷や凶器が体と一体化していくなど、次第に過去バリーが怪物になっていくのが痛々しい。

フラッシュ以外の3人のヒーローは正統派なカッコよさを追求しつつ、きちんと差別化されている。特に二人のバットマンはガジェットだけでも、ベンアフバッツのものは直線的でミリタリー色が強く、キートンバッツは流線型でレトロな手動操作のものを使用するなど、確かな方向性の違いがあって面白い。

ベンアフバッツは冒頭シーンのみの登場ながら、短時間でバットサイクル、マント滑空やグラップリングなどバットマンらしいことは一通りやっていて物足りなさはない。ガジェットを加味してもフラッシュの方が明らかに強いのに、経験と技術でそれをカバーして先輩の貫録を見せてるのがとてもカッコいい。

キートンバッツ周辺で特筆すべきは、ウェイン邸とバットケイブというロケーションの美しさ。ウェイン邸に入る所からそうだが、過去バリーが我々視聴者と同じように興奮するので新鮮なワクワク感があり、当時バートン版に感動した人々の気持ちを味わっているようだった。

あと本作の視覚演出で特徴的なのが、バリーがタイムトラベルする際に発言する「クロノボウル」。後ろ向きに走るバリーのモーションと、バリーを中心に蟻地獄のように時間が巻き戻っていく映像は何とも奇妙でこれまで見たことがないものだった。マルチバースが衝突する際の各世界がフィルムが巻き付いた球体のように描かれていたのも印象的。台詞ではなく象徴的かつ具体的な映像を用いて説明するのが好感が持てるし、これが漫画の映像化として好ましい姿だと私は思う。

バリー・アレン個人のドラマ

タイムトラベルやらマルチバースやらの概念が飛び出し、フラッシュ以外のヒーローが何人も登場するお祭り作品ではあるが、本作のストーリーの軸は至ってシンプルなのがいい。その軸とはトラウマを抱えた主人公バリーがそのトラウマと向き合い、成長する物語。スナイダーカットもサイボーグの成長が軸にあって、こういう個人的でエモーショナルなストーリーが軸にあるほうが共感しやすくて私は好き。

本シリーズのバリーはコミュ障だったり、お喋りで空気の読めないギャグで滑ったり、主人公らしからぬオタクっぽいキャラクターが凄く魅力的。エズラ・ミラーの纏う繊細かつ少し気持ち悪い空気感と(過剰気味なマザコンっぽさまで含めて)、感情表現から変顔・ジョークまでを柔軟かつ独創的にこなす演技力によって素晴らしいキャラクターになっている。

何より、本編の大半を現在のバリーと過去バリーの一人二役で演じ続けているのが凄まじい。根っこは同じだけどちゃんと個別のキャラクターとして成立していて、私はスタッフロールやパンフレットを見た際に個別にクレジットされていないことに違和感を覚えるほどだった。

作劇上でもこの設定はかなり有効活用されている。自分自身と向き合う、っていうドラマはごまんとあるけど、過去を振り返ったり自分と似た人間を見るのではなく、物理的に過去の自分と向き合い続けるという身も蓋もない見せ方が面白い。

また、過去バリーが能力を習得する過程で疑似的にオリジンストーリーをやってるのも良くて、これが中間部に差し込まれることでオリジンものにありがちなテンポの悪さが解消されているのがかなりクレバー。コスチュームへの着替え方や物質透過などの特殊能力を序盤で見せつつ、この中間部で改めて説明するという運び方は画期的だと思う。

掛け合いも見ていて楽しくて、現在バリーが過去バリーのウザさに辟易したり、過去バリーだけが話についていけてなくていちいち驚く様が良い。徐々に互いをリスペクトするようになり、友情を育んだからこそ、クライマックスの悲痛さが際立つ。

未熟ながらも善良だった過去バリーが暴走してしまったのは、ブルースが言う所の「過去の傷」を持たないこと、有体に言ってしまえば苦労知らずだったことが原因といえる。年若く、両親が健在なこともあるが、現在バリーから能力を授けられ技術を教わった彼は、試行錯誤を経てそれらを身に着けた現在バリーよりもその全能感に溺れやすかったと見える。

過去の自分の暴走を止めきれない現在バリーの姿も切ない。母のいる世界を作ったのも過去バリーに能力を授けたのも自分で、すべての原因が現在バリー自身にあるのがかなり痛い。その上、自分が何が何でも守ろうとした母を諦めろと、過去の自分自身に告げることがいかに辛いことか。ダークフラッシュと化した自身から現在バリーを守った過去バリーにはまだ人間性が残っていたのが救いか。

スーパーでトマト缶を戻すシーンもすごくいい。散々お祭り騒ぎした後でも、ちゃんといちキャラクターのドラマに着地するのが良い。過去のノラと期せずして会話してハグまでした現在バリー、このシーンはささやかな幸福感と同時に、親子としては対面できず、スピードフォースの中でしか母への愛を伝えることができない切なさが描かれていてとても良い。高速ヒーローなのに遅刻がちなところもだけど、万能とも思える能力を有しながら上手くいかないことばかりなのは、ヒーローのドラマとしては王道よね。

余談だが原作ではフラッシュの宿敵であるリバースフラッシュが母親を殺害した設定があって、本作での登場が予想されていた。まだ出せる余地は残されているけど、今回はバリーが自らの過ちに向き合う話なので、少なくとも本作には出さなくて正解だと思う。

二人のバットマンとスーパーガール

本作は二人のフラッシュに加え、二人のバットマンとスーパーガールが登場する。

過去のDCEU作品から続投となるベン・アフレックバットマンは、数分間のみの登場であることがアフレック本人から語られていた。彼が好きな自分としては残念に思っていたが、実際にはその数分間で非常に重要な役割を果たしており、ファンとして満足のいく活躍が見られた。

アクションシーンの素晴らしさは前述の通りだが、ドラマ面でも非常にいい味を出している。バリーの父の無罪の証拠を探したり、話を聞きにわざわざ家の前まで行ったりと、兄貴分としてなかなか親身に振舞っている。JL結成時にバリーは彼のスカウトを快諾しており、メンバー集めに苦労していた彼に可愛がられていても無理はない。

また、過去に親を亡くしたトラウマが共通しているのも大きい。DCEUのジャスティスリーグのメンバーは全員が親を喪った経験があり、その共通項を拾ってくれたのが嬉しい。ベンアフがバリーに送る「過去の傷が今の我々を作る」という教えは本作の根幹を成すもの。本作の主要な登場人物のほとんどが過去のトラウマに囚われており、本作はバリーが過去のトラウマを克服し未来に歩き出す物語だから。

これは深読みだけど、終盤でサプライズ的に登場するキャラクターの人選を見ると、この言葉は過去のDC映画に向けられているようにも聞こえる。俳優に起こった不幸や没になった企画の数々、そして現在のDCEUの迷走ぶりなど、問題を挙げればきりがないが、それらを踏まえてこそ新たな作品がより良いものとして生まれてくる。どうにも私はこの手の歪な歴史を肯定するようなメッセージに弱くて、表面的なファンサービスや詭弁として切り捨てられないんだよな。(仮面ライダージオウの劇場版とか、グリッドマンユニバースとか、スパイダーバースとか。)

バリーの食事の誘いへの「また今度な」という返答は、この役・このシリーズに対するアフレック自身の別れの言葉のようで目が潤んでしまった。ただ、ここで彼がバリーを受け入れていれば、本作の事件は起こらなかったのではないかという気もする。彼は彼でトラウマに由来する孤独を引きずっていたのかも。

バリーにより変化してしまった世界では、『バットマン リターンズ』(1992)ぶりにマイケル・キートンバットマン役に復帰する。御年70歳ということを感じさせず、戦う目的を見失った牙の抜けた獣と、鋭い目つきの戦闘狂の姿の両方を好演している。

彼は彼で、両親が戻ってこないことを理解しながら戦いに明け暮れ、挙句の果てに生きる意味を見失った経緯から、まだ若く母親を取り戻したバリーに目をかけている。仲間もおらずアルフレッドをも失った彼はベンアフ以上に孤独で、闘いに臨む姿は頼もしいが死に場所を探しているような切なさも帯びている。

キートンのスパゲッティを用いたマルチバースについての説明は印象的で、彼は作中でたびたび言及される『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのドクの役割を担っているといえる。なぜ彼がタイムトラベルとマルチバースに詳しいのか、他の人の考察で興味深かったのが、彼自身が過去にタイムトラベルを試みて手酷い失敗をしたのではないかという仮説。言われてみれば説明の投げ槍感は自嘲とも取れるし、すべてを失った彼が過去に縋ろうとしたとしても不思議ではない。今後言及があればいいが、出演が予定されていた『バットガール』が公開中止になったことを思うと望みは薄そう…。

コロンビア系のサッシャ・カジェが演じるスーパーガール。スーパーガールは金髪白人のイメージがあったけど、実際見てみると全然アリだった。スーパーマンの親類というよりも、ウェーブ気味の黒髪と陰のある眼つきはむしろヘンリー・カヴィル演じるスーパーマンの女性版そのものに見える。

端正な顔立ちもさることながら、特筆すべきはそのスタイル。マントをはためかせ空を飛ぶシーンがそれはもう美しくて、まさに超人という説得力がある。バリーを空へ運ぶシーンは、暗い表情と激しい嵐がマッチしてて、あのシーンだけは彼女の世界が出来上がっててとても良い。バリーが別時間軸のバットマンとスーパーマンという、2大トップヒーローの助けで力を取り戻す展開も熱い。

カヴィル版は悩んでばかりでスーパーマン本来のポジティブなアイコンになり損ねてしまった。今回はゲスト的な立ち位置が丁度よく、却って怒りと復讐心剥き出しなのが清々しく様になっている。カヴィルと並んでるとこ見たかったなあ…。死んだと思ったカル=エルに出会って、本作とは違う和らいだ表情とか見せて欲しかったなあ…。

実をいうと公開前はなんでスーパーガール?バットマンだけで良くない?と思ってたんだけど、劇場で見たらもう黙るしかなかった。彼女の存在感もだし、何よりスーパー○○とバットマンがそろい踏みするだけで安心感が凄まじい。流石はDCの2大巨頭。

タイムトラベルを扱う本作で、過去にバットマンを演じたキートンに対し、まだ誰も見たことない=未来のスーパーガールという対比が、年齢も合わせてで気が利いている。

キートンはアルフレッドを喪った孤独と戦う意味を失った虚無感、カーラは母星を喪った経験という、それぞれのトラウマによる正史に比べ一段と暗い性格も共通していて、意外と人選に必然性がある気もする。

ゾッド将軍は割を食った感じ。彼は話を進めるための強敵ポジションで、本作は真のラスボスが過去のバリー自身なのでこのポジションに新キャラを使うと話が散らかってしまうから既存キャラということなのだろうが、まあ誰でもいいっちゃいい感じで掘り下げはなく、ほとんど災害でドラマはない。『マン・オブ・スティール』(2013)では、彼には彼なりの信念があったのでこの扱いは残念だ。

ゲストキャラクターについて

マイケル・キートンバットマンの登場が既に明かされていたので、本作は当然「それ以上」のサプライズが期待され、実際に数多くのカメオ出演やCG再現による過去キャラクター登場が多数ある。

私はこの手のサプライズはMCUで見飽きた節があり、機体どころか少しうんざりしているのだが、本作は割といい塩梅だった。キートンバッツを除けば長時間登場することもなく、変に全員集合させようともしていないのでリラックスして観られた。

特に良かったのはワンダーウーマンキートンと揃えてオールドファン狙いで来ると踏んでいたので完全に不意を突かれた形だったが、やはり嬉しかった。このような便利な助っ人を何の説明もなく気軽に登場させられるのってシネマティックユニバースの強みといえ、意外にも前例はほとんど思い浮かばない。大抵はクロスオーバー企画にメイン級で登場するか、あるいはありがたがれと言わんばかりにポストクレジットで登場する。このゲストを大事にしすぎる風潮に私は窮屈さを感じていたので、今回の気軽なワンダーウーマンの扱いはかなり好印象。こういうのをもっとやればいい。

あとはジョージ・クルーニー。『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997)に特別な思い入れはないのだけれど、こちらも全く予想していなかったので何だか得をした気分だった。MCU以降他作品からのサプライズゲストが定番化したが、本来カメオ出演のゲストなんてこんなもので、「この人が出るはず」なんて予想してかかるのは不健全だと思う。出ないと損した気分になるので。飽くまで私個人の意見だが。

よろしくない点は、一部キャラが登場しない理由がメタ的に察しがついてしまうノイズになること。ジャスティス・リーグのメンバーではスーパーマンとサイボーグが未登場だが、スーパーマンヘンリー・カヴィルは先日スタジオの体制変更を受けて同役への復帰が白紙になり、サイボーグ訳レイ・フィッシャージャスティス・リーグ撮影時の問題を巡ってワーナーとは確執がある。また、ダークナイト3部作でバットマンブルース・ウェインを演じたクリスチャン・ベールは「ノーラン監督が関わるなら検討する」と発言しており、本作への出演は難しいだろう。こういった理由がちらつき、「出していない」のではなく「出せない」と考えてしまってノイズになった。

食事

ちょっと脱線気味だけど気になることがあって、この映画は「食事」への言及が非常に多い。まずこの映画はバリーが朝食のサンドイッチを注文するシーンで始まり、アイリスをディナーデートに誘うシーンで終わる。

フラッシュの能力の反動で代謝が激しいバリーは、高速移動中でも自販機から食べ物を取り出したり、通行人からホットドックを奪ったりと、ひっきりなしに食事をしている。これは能力を受け継いだ過去バリーも同様。

バリーが思い出す亡き母は得意のトマトソースを作っており、同時にそのトマトソースが悲劇の引き金にもなっている。過去改変後にバリーが母のトマトソースパスタを頬張り、家族との団欒を楽しむシーンはコミカルながら切ない。

また、役目を終えたベンアフがバリーの食事の誘いを断り去っていくのに対し、キートンが食事の提案をするところから協力関係を結んでいくのが対照的である。

家族やブルースたちとの食事シーンに顕著だが、本作は食事をコミュニケーションツールとして象徴的に用いている。しかし両親を失い、そのトラウマで友達も出来なかったバリーにとって食事は孤独なものだった。ラストシーンで彼はアイリスをディナーデートに誘っており、ようやくトラウマを克服し他者に心を開く用意が出来たことが暗示されている。本作を経て彼がようやく一歩を踏み出したことが食事の場を通して直感的にわかる、さりげなくも巧妙な演出だと思う。

まとめ

毎度のことながら書きたいことが多すぎて全然まとまりがなくなってしまったが、それだけたくさんの魅力を持ったいい映画だった。特にギャグとアクションの織り交ぜたテンポの良さと、個人のドラマから軸がぶれないバランス感は監督の手腕を褒め称えたい所。

シリーズ再編の先行きが全く読めないので続編はいまいち期待できないが、出来ることなら今一度アンディ・ムスキエティ監督とエズラ・ミラーのタッグによるフラッシュを観たいので、エズラ・ミラーにはどうにかして更生し、俳優業に復帰して欲しい。