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見た作品のその時々の感想置き場

『ムーンナイト』感想

 最近ディズニープラスに加入したのだが、実はきっかけはこのドラマである。これは『ザ・バットマン』にハマって、精神的に不安定で暴力的なヒーロー活動に依存しているキャラクターを求めており、多重人格で悪人に容赦のないヴィジランテだというムーンナイトに惹かれたからだ。しかし、実際のドラマはこの期待とは大きく異なる内容だった。以下ネタバレ注意。

 

 この作品の構成はドラマシリーズというよりも長い映画というべきで、映画であれば短く済まされる部分を長い時間をかけて描写している。サイコホラー的描写やインディージョーンズ的トレジャーハント要素、果ては怪獣プロレスにまで手を出して、無駄な描写が多いのも問題だが私が許せない点は別にある。ムーンナイトのヒーロー活動についての描写が全くと言っていいほどないことだ。

 コンスの口から悪人を裁く方針が説明され、マークが殺害してきたとおぼしき人々がマークの精神世界に登場するが、実際に悪人を罰するシーンはほぼ全くなく、ハローとその仲間との戦闘ばかりである。唯一そうといえるシーンも、手を下すのはムーンナイトではなく、暴力的な第3の人格ジェイクである。

 かといって完全にヒーローを軽視しているわけではないのが質の悪いところで、非常に形式的にとはいえレイラ/スカーレット・スカラベはエジプトのヒーローとして意義のある活躍をする。

 ドラマにおいてコスチュームの意義もなく、ただの超能力でしかない。敵のハローがアメミットのアバターとなる前も後も生身で超能力を駆使するので、アバターはそういうものという解釈もしづらい。マークとスティーブン(そしておそらくジェイクも)の衣装が異なるという演出も面白くはあるが、後述するように効果的に用いられているとは思えなかった。

 ドラマの内容については、神々に何が出来て何ができないのかはっきりしないため、何をしたら問題が解決するのかが推察できず乗り切れない。アメミット復活後でもあんないい勝負できるなら序盤から本気でハローを倒しに行くべきだし、ハローはハローで逃げ切れるんならずっと逃げてろよ。特に5話の精神世界は、結局現世に戻るのに天秤を安定させようとする意味が分からず、手続き感がすごかった。セラピーらしいっちゃらしいんだろうけど。

 マーベルスタジオ作品だけあって映像技術は充実しており、オスカー・アイザックの素晴らしい演技力もあり、見応えそのものはあるものの、ドラマはご都合主義的で中途半端だと言わざるをえない。何より、多重人格と向き合う話がやりたいだけならヒーローものじゃなくていいだろうという話である。次回作があればと思いたいが、1作目こうだと2作目はもっと強大な敵が出ちゃって結局ヴィジランテやんない気がするなあ…

 

マスクの話

 ムーンナイトは主導権を握る人格によって姿が変わる。私はスティーブン主導時の「Mr.ナイト」のデザインが特に好き。ドラマ版「ウォッチメン」の影響で布製フルフェイスのマスクに私服のヒーローが好きなので。

 好きなだけに演出としてあまり映えていないのが残念なところで、オスカー・アイザックが多重人格を完璧に演じ分けてしまっているために、「変身時の方がわかりやすい!」とならんのよな。こういう演出はむしろ、変身前は人格の違いが行動でしかわからないところから、視覚的に区別がつくようになるのが効果的で、人間の顔をそこまで詳細に描き分けられないコミックやアニメ向きなのかも。

 制作陣もオスカーの演技力に甘えてマークとスティーブンを同時に出し続け、挙句の果てに5話の精神病院があって、その頃には完全にマークとスティーブンが別々の人間に見えてしまっていた。だから戦闘中に入れ替わっても、本当に2人の別人が交替で戦ってるようにしか見えなくて勿体なかった。

 フォームチェンジという文脈に対する変化球として機能していた『仮面ライダー電王』の方が効果的だった。