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『オビ=ワン・ケノービ』Part 6 感想、全体総括

 Part3以降酷評してきたこのドラマだが、全話観終えた後味は不思議と悪くない。もちろん知性に欠ける雑な展開や迫力にかける演出はこのドラマに一貫する問題であり最終話も例外ではないが、このドラマが当初から描こうとしていたオビ=ワンの再起がPart2以来にちゃんと描く努力がなされていたと感じたのでPart6は楽しむことができた。

 これはおそらく私のこの作品に対する期待値の低さによるもので、近年私はシリーズ作品の続編や外伝に苦手意識を感じている。ファンへの目配せがドラマの完成度よりも優先されたり、ドラマの完成度が高くても目配せがノイズになったりするのに疲れたからだ。スターウォーズシリーズの最重要人物の一人であるオビ=ワンを主役にしたドラマがファンへ向けて作られているのが明らかだったので、新たに得るものがあればそれでいいくらいの期待しかなかったのだ。

前回までの感想はこちら。
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ネタバレ注意。


 難民を載せた船を修理する時間を稼ぐため、オビ=ワンは囮となりベイダーとの決戦に向かう。

 オビ=ワンがダース・ベイダーを引きつけるために囮になるのはわかるとして、最終的にベイダー1人でやり合うんだからスター・デストロイヤーの針路まで変える意味はない。難民たちのその後は描かれないけどレイアがオルデランに戻ったのを見るに逃げおおせたんだろう。これまでのオビ=ワン同様、話の都合でヘマをさせられるキャラクターが可哀相…ではあるんだけどベイダーだと妙にありそうというか。リーヴァ殺してないとか、この後のオビ=ワンへの敗北とか、こういう失態を繰り返してたら確かに出世できないだろうし、エピソード4時点での立場の低さの説明になるとも取れる。

 リーヴァは生きてました。前回も書いた通りオーダー66の生存者としての視点は面白いし、それ故に子供だけは殺せず、悪に身を落したことを悔いるのもわかる。ただこれもほとんど伏線がないのが弱くて、ここに至るまで彼女が悪事に葛藤を抱く場面は必要だった。子供殺せないってのも、レイアを攫って拷問器具にかけるとこまでいったのと噛み合わない。殺さなきゃオッケーってこと?

 そしてそもそも、今回の彼女がなんでルークを狙ったのか意味不明だった。彼女が拾った通信機からわかることって、ルークがレイアと同様に、オビ=ワンやベイルにとって特別な存在だってだけだと思うんだが、帝国軍を追われた彼女がいまさら狙うか?レイア狙ったのもオビ=ワンを誘き出すためだけだったし、そのオビ=ワンもダース・ベイダーに近づくために狙ってたわけで。この状況でルークを殺害してもリーヴァには何もメリットはないと思うんだが。
ルークがベイダーの息子だと気づき殺そうとしたって線もない。知りようがないし、知ったら知ったでベイダーとオビ=ワンがグルだと考えるのが普通なので殺し損ねてオビ=ワンに泣きつくのはおかしい。なんにせよ何の説明もなく、最後まで話の都合で振り回された不憫なキャラだったとしか思えない。

 そしてオビ=ワンとダース・ベイダーの決戦は、いいところもあったが問題が多すぎる。

 激しく複雑な殺陣は、それなりにエピソード3でのムスタファ―の戦いを想起させるだけのものになっていた。また、子供たちを思い奮起するオビ=ワンを描いたのは良かった。これまでこのドラマはオビ=ワンの再起を描こうとしている割に起こった出来事と関係なくオビ=ワンが調子を取り戻すもんだから勝手に元気になる奴にしか見えなかったが、今回はちゃんとその過程が描かれた。そして、素顔のアナキンとオビ=ワンの会話シーン。前回指摘した、今のヘイデン・クリステンセンが演じる意味がある最初で最後のシーンだ。ヘイデンの演技はアナキンとベイダーの余白を埋めるものになっていて、オビ=ワンと同じ絶望を視聴者にも味わわせてくれる。そして、謝罪とともにかつての弟子への執着を捨てるオビ=ワンは、失望をぶつけることしかできなかったエピソード3や、後悔に沈み続けた10年間よりも成長したといえるのではないか。

 では問題点に移ろう。このドラマの他のアクションシーンにも言えることだが、撮り方の問題で非常に見づらい。いまいち焦点が定まらない上に頻繁に切り替わるアングルに加えブレがひどい。更に、これはリーヴァとラーズ一家の戦闘にも言えるが、Part3に続き画面が暗すぎて、ライトセーバーが起動していなければ人の顔さえ見えづらい。見せ場となるはずのアクションシーンで中盤と全く代わり映えのしない画面づくりを終盤でも繰り返し、それどころか同時進行する別の場面でさえ同じ暗さというのはいかがなものか。

 オビ=ワンのフォースが強く描かれすぎているのも問題だ。今回の戦闘でオビ=ワンは全盛期の力を取り戻したのだと思っていたが、フォースの強力さはエピソード3時の本人は疎か、ヨーダダース・シディアスをも明らかに上回っている。エピソード3における対グリーヴァス将軍戦や対アナキン戦でオビ=ワンが見せた、力で劣る相手に劣勢に立たされながらも弱点を狙い撃ちし起死回生する様は、オビ=ワンの狡猾とも言える柔軟な思考を表す印象的なシーンである。今回オビ=ワンがベイダーの生命維持装置を故障させ戦闘不能に追い込むのがそういったオビ=ワンらしさの再現なのかは定かではないが、オビ=ワンの方が力で勝っているため前述の図式には当てはまらず、ただ手加減しているように見えてしまう。そしてオビ=ワンはとどめを刺せる機会が何度もあったにもかかわらず、最終的にかつての弟子を見逃す。これはかつての失敗を10年間悔い続け、弟子が生きていたことを知ってさらに失意を深めたオビ=ワンの行動としてはやや不自然だ。エピソード4につながる以上ベイダーが生存するのはわかりきっているとはいえ、そこに何らかのドラマ的整合を取ろうとした形跡すらないとなると、この対決、ひいてはそれを目玉に据えたこのドラマは何だったのだろうという徒労感を禁じ得ない。

 終盤のファンへの目配せの数々は評価が分かれるところだろう。オビ=ワン周りとベイダー周りに大別できるので、それぞれについて意見を述べたい。

 オビ=ワンに関するものはそこまで悪くなかった。オビ=ワンがもう一度フォースを信じるようになるまでを描いたこの作品の締めにフォースのテーマが流れ、オビ=ワンが"May the force be with you."と口にするのは順当だと思う。そして、霊体となった師クワイ=ガンとの再会が(何度も露骨に仄めかされたとはいえ)叶ったということは、この事件を経たオビ=ワンのさらなる成長を示している。私はこのジェダイの異端児が好きだったのでリーアム・ニーソンが演じるこのキャラクターを再び見ることができて嬉しかった。しかし、リーアムが散々エピソード1での悪い思い出を語り、これまで復帰しなかったからというメタ的な事情を踏まえてこそのサプライズであり、単純にドラマとして魅力的なシーンと言えるかは疑問が残る。また台詞にしても、"May the force be with you."はもちろん、"Hello, there." なんて言ってみればただの挨拶であって、溜めに溜めて言うものではなく、総じて狙いすぎで野暮になっているのは否めない。

 一方ダース・ベイダーに関するものは同様に野暮なうえドラマ的にも不自然というかなり厳しいものだった。帝国のマーチに関する演出は大失敗だった。最終回でやっと流れた喜びよりも初登場シーンで流れない違和感の方が強く、溜めとして成立していない。これは帝国のマーチが旧作品群でダース・ベイダーの登場シーンで使用される印象が強いからだ。ドラマとの噛み合わせを考えても、今作はベイダーの内的変化を描いているわけではなく、テーマソングの不使用から使用へと推移するような展開は見られなかった。まあそれをしたところで結局はエピソード3の縮小再生産に過ぎないのだが。
そして皇帝の顔見せ。登場が嬉しくないわけではないが珍しさにおいてリーアムに劣るため前座感が拭えない。また顔をしっかり映してしまっており、旧作品群におけるフードを目深に被った怪しいイメージから乖離してしまっているのが非常に野暮で残念。これは前回のヘイデン同様、イアン・マクダーミド本人が演じていることを主張せんがために行われていることは明白で、もはやファンメイドの方がマシといっていい程に志が低い。

 オビ=ワンとクワイ=ガン、ベイダーとシディアスという2つの師弟関係を対比的に演出すること自体は面白いアイデアだが、既存の対比構造(オビ=ワンとアナキンの師弟、アナキンに対するオビ=ワンとパルパティーンという2人の師匠、そしてオビ=ワンとルーク、シディアスとベイダーの2つの師弟関係)と部分的に被るためややわかりづらく、エピソード4へのつながりを考えればあまり将来性もない対比なので飽くまで面白いアイデア止まりだと思う。

 以上、『オビ=ワン・ケノービ』は単体のドラマとしての完成度も低く、ファンサービスの志も低いといった非常に残念な作品だったが、得るものが全くないわけではなかったので視聴してよかったと思う。この作品をめぐるファンの意見を見て、スターウォーズというシリーズの複雑な歴史とそれにより求められる作品への期待値の高さを初めてリアルタイムで体感できたことも貴重な経験だった。

マスクの話
 今回はダース・ベイダーのマスクの話、と言いたいところだが、何十年も語りつくされてきたこの素晴らしいマスクの魅力を私のような浅いファンが語ると危なそうなので控える。今回は、マスク割れの話。マスクが破損して中の素顔が見えるというのはマスクを被っているときと被っていないときの二つの人格が混じ
り合うある種背徳的な魅力のある演出で、スパイダーマンやアイアンマン、日本でも仮面ライダーキン肉マンまで結構多くのキャラクターがやってる。一方で頭部へ少なくないダメージを負う状況を作らないといけないので、ピンチに陥る描写全般に言えることだがキャラクターの強さの格が下がってしまったり、繰り返すと作品内の戦闘のシリアスさを損なう諸刃の剣でもある。

私は知らなかったがアニメシリーズでもベイダーのマスクは割れたらしく、それを観てると今回のマスク割れは乗り切れない人も多いんだろうな。わざわざヘイデンがベイダーを演じるという事実が既にベイダーのマスクが外れるか割れるかすることの予告になってしまっていたのも勿体ない。それでもヘイデンの演技は一見の価値があるし、まさにアナキンとベイダー、2つの人格の橋渡しをする名シーンだとは思うけどね。