お前も茶漬けにしてやろうか!-茶柱の人生丸茶漬け-

見た作品のその時々の感想置き場

『シン・ウルトラマン』感想

 まとめようと思いながらまとめきれず2週間近く経ってしまったので書けるだけ書いておく。

 公開日翌日に1回目、4日後に2回目、そして昨日3回目を観たが、すごく変な映画だこれは…

 1回目は乗り切れなかった。アニメキャラ調でほとんど内面の掘り下げもされない浮いたキャラクターを見て後ずさってしまい、この映画はどんなテーマを描こうとしているのかということを妄想し続けていた。それはそれで楽しかったけど。

 2回目は涙を流して感動するほど楽しんだ。前回きちんと向き合わなかったことを反省し、可能な限りエンターテインメント的な楽しみをこちらから見出そうとした。結果こちらの予想をはるかに超えて楽しめてしまった。

 3回目はその中間のような感じ。1回目と2回目でここまで振れ幅がある映画は見たことがなかった。その理由を自分なりに分析してみた結果、この映画の特異性が見えてきた。

 ウルトラマンを始め、巨大特撮はスーツや着ぐるみ、ミニチュアなど本当は巨大ではないものを巨大なものとして描く。そういった視聴者が嘘と分かっていることを約束事として信じること、雑に言えば忖度を要求する。

 さらに、庵野秀明作品も独自の傾向を持っている。科学や政治などの描写をする際に、専門用語を羅列してそれっぽさを出すことはするが、実際に考証することは重視せず割と勢いで進む。これも「そういうもの」として消化しなければ作品は非常に見づらいものとなる。

 これら「ウルトラマン」文脈と「庵野秀明」文脈が複雑に入り組んで、それぞれの初見者はもとより経験者でさえ傾向の読み取りが困難になっており、どういうバランスで作られているのかが掴みづらい。そして、何が起こるかわかっていた2回目は忖度に力を大きく割くことなく、力を抜いて楽しめたんだと思う。

 ここからは本編の感想に入るので、ネタバレ注意。

 作り手のウルトラマンというキャラクターへの愛のためか、舞台装置としての側面が強い原作に比べ、ウルトラマンの存在がドラマの中心になっている。人間と外星人が融合し、2つの価値観を併せ持つ唯一の存在であるウルトラマン人間について学び、人間を好きになるまでの物語。理解しきれない存在への尽きない興味を「好き」と表現したのは、異文化や他者を理解しようと努力することの難しさと大切さを伝えたかったのだと思う。

 映像面では何より、ウルトラマンの美しさが素晴らしかった。立ち姿が最も美しいと言えるまでに極められた美しさが見れた時点で満足。現実感を出すための情報量増加にも、原作の再現にも無自覚に偏ることなく、細部にわたって美しさを追求したから、あの神秘的な異様が成立したんだと思う。プロレスチックな戦い方も親和し、戯画的な雰囲気を醸していて軽い気持ちで楽しめた。ヒレとカラータイマーは取るが、アクターは古谷敏で飛び人形はあえて残すという倒錯ぶりにはついていけないところもあるが。

 禍威獣は完全にエヴァ使徒になるもんだと思ってたら、思いのほか愛嬌のある描かれ方をしていてよかった。逆に本家ウルトラマンにおける怪獣を期待していると淡白に見えるんだろうな。特に禍威獣ひとりひとりにドラマはないし。

 人間の性を熟知したうえで巧みに誘導するというやり方で地球を侵略しようとするザラブとメフィラスの二人の外星人は何とも嫌な説得力があった。口が上手いやつほど信用してはいけないっていう。口下手なウルトラマンとの対比も面白い。ただこの二人は原作におけるウルトラマンのカウンターとしての役割を求められており、こちらもドラマは薄い。ウルトラマンとメフィラスの立場が原作と逆転してしまったのには驚いたけどちょっと嬉しかったりして。なんやかんや勝ったことのないメフィラス星人が優勢のまま終わって、本当に対等な存在として描かれる。

 そしてゾーフィとゼットン。鑑賞時私は誤植ネタを知らなかったので、単に本家シリーズのゾフィーと区別するための名前程度に思っていた。ゾーフィの裁定者としての振る舞いは結構好きなんだけど、山寺宏一の演技はよろしくない。今作で外星人を演じた他の4人の役者はどこか無機質で不気味な雰囲気を出していたのがよかったのに、山ちゃんは抑えようとしても人間臭い感じが出てしまっていた。あとゼットンは等身大で理不尽に強いのがいいんだと思うけどなあ。ウルトラマンサーガのハイパーゼットンの時にも思ったけど。巨神兵もパワードゼットンも好きなんだけどね。

 音楽は何とも言えん。エヴァでもシン・ゴジラでもやってる昔のBGMそのまま使用には慣れたけど、いいかというと…。今回は序盤から徹底して使ってるからザラブ戦の頃には馴染むけど、それでむしろ終盤の鷺巣曲が浮き気味なのが勿体なかった。曲そのものはどっちも好きなだけに。米津玄師の曲は米津印の「ウルトラマンのうた」であってシン・ウルトラマンの内容にはこれっぽっちも符合してると感じなかった。まあ主題歌というものは得てしてそうだし、聴いてるうちに今まで好きじゃなかった米津の良さも感じるようになったのは収穫。

 まとめ。かなり賛否が分かれてるようだけど、自分は慣れればちゃんとノれたし、すごく好きになってしまった。結局はオタクだからな。ズレはあるが、変に説教臭くならずエンターテインメントに振り切った映画はいいものだ。

 

・マスクの話

 今回はウルトラマンの顔の変化。最初はしわしわ(いわゆるAタイプ)体色とともに2回目の登場でつるつる(BタイプないしCタイプ)に変化する。体色は活動限界を表すことから神永との融合に伴うものだと考えられ、人間と意思疎通ができる「血の通った」存在になったことのメタファーでもあるのかなと。てっきり顔もこれと同じかと思ったら、ゾーフィがつるつるだから違った。だとしたら地球環境への適応のなのかな。デザインワークス手に入ったらわかるかも。