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『ブラックアダム』感想:JSA対ブラックアダム

今回は12月2日に日本公開されたDCコミックス原作のスーパーヒーロー映画『ブラックアダム』の感想。冬のブラックヒーロー祭り(勝手に呼んでるだけ)第三弾にしてトリである。とは言ったものの、個人的には三作中一番微妙だった。

封印から解放された主人公ブラックアダム以外に、ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカ(JSA)と呼ばれるヒーローチームが登場。彼らとの闘いを経て、ブラックアダムがヴィランなのかヒーローなのかを描いている。

早速感想に入っていこう。

以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

ブラックアダムとJSA

本作を観終えた私の感想を一言で述べれば、「JSA最高!!!!」だ。

設定面から演出、キャラクターまでとにかく私好みだった。

設定

JSAは、リーダーのホークマン以外のメンバーが流動的なのが良かった。組織の全容が見えずミステリアスでワクワクするし、その中から選ばれるのが4人という少数精鋭なのもかっこいい。ああ言えばこう言うウォラーとそれに律義に応えるカーターの掛け合いも楽しい。

こういう出自も分野も違うヒーローが集まったチームは私の大好物で、求めているカオス感を最低限の人数で表現してくれてて、それだけで本作を観たかいがあった。

時間をかけてオリジンをやったりしないのも良かった。今後の活躍を約束されたキャラクターばかりなのも疲れるので、こんな風に再登場するかもわからないあっさりした扱いのキャラクターがいてもいいと思う。

そもそも本作は「ジャスティス・ソサエティ」でも「ジャスティス・ソサエティVSブラックアダム」でもないのが巧くて、彼らが主役でないからこそあれだけバラエティに富んだチームをのびのびと描けたのだろう。

ビジュアル

彩度高めで、斜に構えずしっかりとコミック的な描写を実写でやっていて良かったと思う。

コスチュームで特に気に入ったのがドクター・フェイトのヘルメット。変身アイテム兼マスクなのでかなり印象が強く、彼の死亡シーンを始め様々な場面で効果的に使われている。のっぺらぼうで無機質なデザインもピアース・ブロスナンのセクシーな容貌とギャップになっていていい。

スーパーパワー演出はかなり凝ってて、全く系統の違う5人の超人の能力がそれぞれ個性的に、それでいてド派手に演出されていて視覚的に非常に楽しい。

JSAの4人については、飛行機から出撃するシーンからして四者四様で面白い。ドア使わず壁を突き破るブラックアダムと合わせて、超人の超人性を端的に5パターンもの多岐にわたって描いている。

サイクロンが繰り出す風に色がついて、彼女自身が風と一体化しているかのような演出は発明だと思う。「風を起こす」という能力からは想像できない幻想的な美しさに驚いた。

敵だけでなく観ている我々も欺くかのようなドクターフェイトの魔術も良かった。鏡やガラスのようなものを使っているので、光の反射や屈折をテーマにしてるようだ。

肉体派の3人の挙動にしても、ホークマンの飛行には重力や慣性の影響が見られ、物理法則を無視したかのようなブラックアダムの移動とは区別されている。アトムスマッシャーの重量感もいい。

ただ、同じ演出を繰り返すきらいがあり、後半は若干飽きてしまったのが残念だった。特に、ブラックアダムとサイクロンが能力を発動するたびに入るスローモーションがくどかった。

キャラクター

JSAのリーダーのホークマンと古参メンバーのドクターフェイトのキャラクターは良く練られており、二人とも初登場ながらすでに成熟したキャラクターとして描かれる。時間的に流石に説明不足感は否めないが、そこは俳優の存在感に頼って成り立たせられている。

不殺を信条とするホークマンは、近年珍しい王道のスーパーヒーローで好感が持てる。悩むことのない正義漢って近年のヒーロー映画だと少ない気がするので、却って印象的だった。

ドクターフェイトは既に引退したベテランヒーローで、旧友ホークマンの要請に応えて作戦に参加する。偏屈でもなくやましいこともない老人という、これまたアメコミ映画では珍しいキャラクターである。

というか彼の能力の一つである予知能力は、断片的な映像でしか未来が見えない、予知している間は意識がなくなるなどかなり使い勝手が悪い。それにもかかわらず、彼はかなりの長期間(台詞によると100年間)精神に異常をきたすことなく生き永らえている。つまり彼はそれだけ安定した精神を持っているということだ。そんな彼だからこそ、命を捨ててまでホークマンを救おうとするシーンが一層切なく見えた。…ことには違いないのだが、初登場のキャラの死をドラマにするのは予定調和としても浅く、少し冷めてしまった。死亡フラグ立てまくりで意外性があるわけでもないし。ピアース・ブロスナンの演技力でギリギリ保たれているシーンだと思う。

メリハリのない演出

この作品には派手なアクションシーンも外連味たっぷりの構図もたくさんあり、見せ場には事欠かない。しかし、見せ方は満点とは言い難い。

山盛りの見せ場の間を埋めるシーンが少なく、あっても魅力的とは言い難いため、緩急に乏しいのだ。ギャグシーンはあからさまでつまらないし、会話の内容も手続き的で気が利いていない。

また、見せ場もブラックアダムを中心としたアクションシーンばかりで、内容が似通っていて飽きやすいのも残念な点。

そして音楽も問題だ。事あるごとに重低音のテーマが大音量で流れるのには辟易した。ブラックアダムの封印後に流れた時には、ここで映画が終わるのかと不安になってしまった。

これらが原因となって、この映画は終始同じようなテンションで進むので、ひとつひとつのシーンが魅力的でも次第に感覚が麻痺してきて、ラストシーンでもスタッフロールが始まるまで映画が終わったのかどうかわからなかったほどだ。

ストーリー

本作の物語は、悪魔の力を封じた王冠を巡る争いや、アダムとJSAの対立を通してヒーローとは何か、テス・アダムとはどういう人物なのかを明らかにしていくというもの。

描き方はかなり大雑把で、アクションに比べドラマに割かれている時間が短く、内容はありきたりなのにかなり詰め込まれていることもあって、ダイジェスト的で味わいが薄い。無理のある展開も多々あり、撮りたいシーンのための口実作りでしかないのではないか。

そもそもがアトラクションムービーでストーリーは添え物といえばそうなのだろうが、それを認めた上で気になる点がある。

ヒーロー論

敵に容赦をしないブラックアダムと不殺を信条とするJSAとの対立は今作のストーリーで数少ない魅力だ。両者が対面する場面ではブラックアダムの方がカーンダックの人々の支持を得て、ヒーローを自負するJSAは冷たい視線を投げかけられる。

真意は不明なもののブラックアダムはその時点でアドリアナたちをインターギャングから守っている。カーンダックを軍事占領しているためインターギャングは市民から憎まれており、殺害はむしろ喜ばれる。人間を軽く消し炭に出来るブラックアダムだが、的を絞って敵を殺害していることもありコラテラルダメージも最小限だ(ドアを使わないこと以外は)。

対するJSAは世界規模の破壊力を持つブラックアダムに対処するために来たが、市民の支持を得られない。市民からすれば、軍事占領には目を瞑っていた上にインターギャングの命を助け、さらには英雄であるブラックアダムを捕えようとする彼らを支持する理由がない。この時点ではJSAがブラックアダムよりはるかに大きな被害を街にもたらしているのも問題だ。

対比が作為的なきらいがあるものの、敢えて「効率的」な殺害という手段を取らず人命を尊重するヒーローの価値と、そこに当てはまらないブラックアダムのヒーローとしての在り方を問うのは悪くなかった。

だからこそ、後半に進むにつれてこの問題提起がうやむやになるのは勿体なかった。喧嘩もしたけどお前いいヤツだな!!みたいに終わること自体は良いけど、悪役が人間じゃないから殺してもいい、っていうありがちなパターンにはうんざりする。

ブラックアダムの人格

ブラックアダムの能力は6体のエジプト神に由来するもので、その力を授ける魔術師評議会はのメンバーには『シャザム!』(2018)に登場した魔術師シャザムも含まれる。

魔術師評議会に選ばれたのがテス・アダムではなく息子のフルートだったのは捻りが効いていて面白かった。息子に守られ生きながらえた自分をヒーローと思えず苦悩するテスは力に溺れ堕落する原作と比べて共感しやすい人物になっており、本作の主人公が彼であることを考えれば、巧みなアレンジだといえる。

残念なのが、彼の考え方に関してはやや描写不足で、彼の行動に主体性が感じられないことだ。これは、前項のヒーロー論がうやむやになる一因でもある。

上述のように彼は息子こそが真の勇者で、自分はヒーローではないと言う。しかし、その割には行動に迷いがなく、容赦なく敵は殺すし、味方を危機に晒すまではJSAの意見も聞かなかった。自分の在り方を肯定しているのか否か、矛盾に葛藤しているのかどうか、ヒーローになりたいのか諦めているのか、判然としない。

容赦のない暴力を振るうアンチヒーロー像と、自分と向き合い過去を乗り越える主人公としての役割が嚙み合っていないのだろう。

そして、彼がヒーローとして目覚めるのに不可欠な支持者、カーンダックの人々の描き方にはかなり無理がある。

無理のあるカーンダック

5000年前、ローマより早い史上初の民主国家となったカーンダックは、今も昔も圧政に苦しんでいる。

5000年前の宮殿跡と石造を囲む都市、超パワーを秘めた鉱石、軍事占領下ととんでも要素満載のカーンダックだが、とんでも要素より気になったのは市民の描き方の雑さ加減だ。

唯一のレジスタンスが考古学者とその家族・友達で、それ以外の市民が全く描かれないのがきつい。今も昔も子供が手で三角形を作ったらホイホイ着いて行って戦いに参加するような市民を見ても共感など沸かないし、そんな市民に支持されたからヒーローだと思うことも出来なかった。

お喋りなヒーローオタクで主人公にヒーローとは何たるかを教えるアモンが、『シャザム!』のフレディと被り過ぎなのもノイズになった。カリームのジョークも私には刺さらなくて、変にコメディっぽい空気を作る必要はなかったと思う。ロック様が真剣な顔でトンチンカンなことを言ってる方が面白いし。

まとめ

ブラックアダムもかっこいいのだが、何よりJSAが素晴らしかった。混成ヒーローチームをいきなり出すのは、オリジンに時間を割かれるよりも却って観やすくてありだと思う。キャラクターの視覚的な差別化もかなり秀逸で、ワンシーンの魅力とボリュームはかなりのものだ。一方で、台詞やストーリーなど改善の余地も多く、せっかくのアクションシーンを最大限に活かしきれていない。キャラクターは好きだけど、映画自体は個人的な思い入れを抱くまでには至らないな。