お前も茶漬けにしてやろうか!-茶柱の人生丸茶漬け-

自分の偏った趣味についての、その時思った感想置き場

『オビ=ワン・ケノービ』Part 6 感想、全体総括

 Part3以降酷評してきたこのドラマだが、全話観終えた後味は不思議と悪くない。もちろん知性に欠ける雑な展開や迫力にかける演出はこのドラマに一貫する問題であり最終話も例外ではないが、このドラマが当初から描こうとしていたオビ=ワンの再起がPart2以来にちゃんと描く努力がなされていたと感じたのでPart6は楽しむことができた。

 これはおそらく私のこの作品に対する期待値の低さによるもので、近年私はシリーズ作品の続編や外伝に苦手意識を感じている。ファンへの目配せがドラマの完成度よりも優先されたり、ドラマの完成度が高くても目配せがノイズになったりするのに疲れたからだ。スターウォーズシリーズの最重要人物の一人であるオビ=ワンを主役にしたドラマがファンへ向けて作られているのが明らかだったので、新たに得るものがあればそれでいいくらいの期待しかなかったのだ。

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 難民を載せた船を修理する時間を稼ぐため、オビ=ワンは囮となりベイダーとの決戦に向かう。

 オビ=ワンがダース・ベイダーを引きつけるために囮になるのはわかるとして、最終的にベイダー1人でやり合うんだからスター・デストロイヤーの針路まで変える意味はない。難民たちのその後は描かれないけどレイアがオルデランに戻ったのを見るに逃げおおせたんだろう。これまでのオビ=ワン同様、話の都合でヘマをさせられるキャラクターが可哀相…ではあるんだけどベイダーだと妙にありそうというか。リーヴァ殺してないとか、この後のオビ=ワンへの敗北とか、こういう失態を繰り返してたら確かに出世できないだろうし、エピソード4時点での立場の低さの説明になるとも取れる。

 リーヴァは生きてました。前回も書いた通りオーダー66の生存者としての視点は面白いし、それ故に子供だけは殺せず、悪に身を落したことを悔いるのもわかる。ただこれもほとんど伏線がないのが弱くて、ここに至るまで彼女が悪事に葛藤を抱く場面は必要だった。子供殺せないってのも、レイアを攫って拷問器具にかけるとこまでいったのと噛み合わない。殺さなきゃオッケーってこと?

 そしてそもそも、今回の彼女がなんでルークを狙ったのか意味不明だった。彼女が拾った通信機からわかることって、ルークがレイアと同様に、オビ=ワンやベイルにとって特別な存在だってだけだと思うんだが、帝国軍を追われた彼女がいまさら狙うか?レイア狙ったのもオビ=ワンを誘き出すためだけだったし、そのオビ=ワンもダース・ベイダーに近づくために狙ってたわけで。この状況でルークを殺害してもリーヴァには何もメリットはないと思うんだが。
ルークがベイダーの息子だと気づき殺そうとしたって線もない。知りようがないし、知ったら知ったでベイダーとオビ=ワンがグルだと考えるのが普通なので殺し損ねてオビ=ワンに泣きつくのはおかしい。なんにせよ何の説明もなく、最後まで話の都合で振り回された不憫なキャラだったとしか思えない。

 そしてオビ=ワンとダース・ベイダーの決戦は、いいところもあったが問題が多すぎる。

 激しく複雑な殺陣は、それなりにエピソード3でのムスタファ―の戦いを想起させるだけのものになっていた。また、子供たちを思い奮起するオビ=ワンを描いたのは良かった。これまでこのドラマはオビ=ワンの再起を描こうとしている割に起こった出来事と関係なくオビ=ワンが調子を取り戻すもんだから勝手に元気になる奴にしか見えなかったが、今回はちゃんとその過程が描かれた。そして、素顔のアナキンとオビ=ワンの会話シーン。前回指摘した、今のヘイデン・クリステンセンが演じる意味がある最初で最後のシーンだ。ヘイデンの演技はアナキンとベイダーの余白を埋めるものになっていて、オビ=ワンと同じ絶望を視聴者にも味わわせてくれる。そして、謝罪とともにかつての弟子への執着を捨てるオビ=ワンは、失望をぶつけることしかできなかったエピソード3や、後悔に沈み続けた10年間よりも成長したといえるのではないか。

 では問題点に移ろう。このドラマの他のアクションシーンにも言えることだが、撮り方の問題で非常に見づらい。いまいち焦点が定まらない上に頻繁に切り替わるアングルに加えブレがひどい。更に、これはリーヴァとラーズ一家の戦闘にも言えるが、Part3に続き画面が暗すぎて、ライトセーバーが起動していなければ人の顔さえ見えづらい。見せ場となるはずのアクションシーンで中盤と全く代わり映えのしない画面づくりを終盤でも繰り返し、それどころか同時進行する別の場面でさえ同じ暗さというのはいかがなものか。

 オビ=ワンのフォースが強く描かれすぎているのも問題だ。今回の戦闘でオビ=ワンは全盛期の力を取り戻したのだと思っていたが、フォースの強力さはエピソード3時の本人は疎か、ヨーダダース・シディアスをも明らかに上回っている。エピソード3における対グリーヴァス将軍戦や対アナキン戦でオビ=ワンが見せた、力で劣る相手に劣勢に立たされながらも弱点を狙い撃ちし起死回生する様は、オビ=ワンの狡猾とも言える柔軟な思考を表す印象的なシーンである。今回オビ=ワンがベイダーの生命維持装置を故障させ戦闘不能に追い込むのがそういったオビ=ワンらしさの再現なのかは定かではないが、オビ=ワンの方が力で勝っているため前述の図式には当てはまらず、ただ手加減しているように見えてしまう。そしてオビ=ワンはとどめを刺せる機会が何度もあったにもかかわらず、最終的にかつての弟子を見逃す。これはかつての失敗を10年間悔い続け、弟子が生きていたことを知ってさらに失意を深めたオビ=ワンの行動としてはやや不自然だ。エピソード4につながる以上ベイダーが生存するのはわかりきっているとはいえ、そこに何らかのドラマ的整合を取ろうとした形跡すらないとなると、この対決、ひいてはそれを目玉に据えたこのドラマは何だったのだろうという徒労感を禁じ得ない。

 終盤のファンへの目配せの数々は評価が分かれるところだろう。オビ=ワン周りとベイダー周りに大別できるので、それぞれについて意見を述べたい。

 オビ=ワンに関するものはそこまで悪くなかった。オビ=ワンがもう一度フォースを信じるようになるまでを描いたこの作品の締めにフォースのテーマが流れ、オビ=ワンが"May the force be with you."と口にするのは順当だと思う。そして、霊体となった師クワイ=ガンとの再会が(何度も露骨に仄めかされたとはいえ)叶ったということは、この事件を経たオビ=ワンのさらなる成長を示している。私はこのジェダイの異端児が好きだったのでリーアム・ニーソンが演じるこのキャラクターを再び見ることができて嬉しかった。しかし、リーアムが散々エピソード1での悪い思い出を語り、これまで復帰しなかったからというメタ的な事情を踏まえてこそのサプライズであり、単純にドラマとして魅力的なシーンと言えるかは疑問が残る。また台詞にしても、"May the force be with you."はもちろん、"Hello, there." なんて言ってみればただの挨拶であって、溜めに溜めて言うものではなく、総じて狙いすぎで野暮になっているのは否めない。

 一方ダース・ベイダーに関するものは同様に野暮なうえドラマ的にも不自然というかなり厳しいものだった。帝国のマーチに関する演出は大失敗だった。最終回でやっと流れた喜びよりも初登場シーンで流れない違和感の方が強く、溜めとして成立していない。これは帝国のマーチが旧作品群でダース・ベイダーの登場シーンで使用される印象が強いからだ。ドラマとの噛み合わせを考えても、今作はベイダーの内的変化を描いているわけではなく、テーマソングの不使用から使用へと推移するような展開は見られなかった。まあそれをしたところで結局はエピソード3の縮小再生産に過ぎないのだが。
そして皇帝の顔見せ。登場が嬉しくないわけではないが珍しさにおいてリーアムに劣るため前座感が拭えない。また顔をしっかり映してしまっており、旧作品群におけるフードを目深に被った怪しいイメージから乖離してしまっているのが非常に野暮で残念。これは前回のヘイデン同様、イアン・マクダーミド本人が演じていることを主張せんがために行われていることは明白で、もはやファンメイドの方がマシといっていい程に志が低い。

 オビ=ワンとクワイ=ガン、ベイダーとシディアスという2つの師弟関係を対比的に演出すること自体は面白いアイデアだが、既存の対比構造(オビ=ワンとアナキンの師弟、アナキンに対するオビ=ワンとパルパティーンという2人の師匠、そしてオビ=ワンとルーク、シディアスとベイダーの2つの師弟関係)と部分的に被るためややわかりづらく、エピソード4へのつながりを考えればあまり将来性もない対比なので飽くまで面白いアイデア止まりだと思う。

 以上、『オビ=ワン・ケノービ』は単体のドラマとしての完成度も低く、ファンサービスの志も低いといった非常に残念な作品だったが、得るものが全くないわけではなかったので視聴してよかったと思う。この作品をめぐるファンの意見を見て、スターウォーズというシリーズの複雑な歴史とそれにより求められる作品への期待値の高さを初めてリアルタイムで体感できたことも貴重な経験だった。

マスクの話
 今回はダース・ベイダーのマスクの話、と言いたいところだが、何十年も語りつくされてきたこの素晴らしいマスクの魅力を私のような浅いファンが語ると危なそうなので控える。今回は、マスク割れの話。マスクが破損して中の素顔が見えるというのはマスクを被っているときと被っていないときの二つの人格が混じ
り合うある種背徳的な魅力のある演出で、スパイダーマンやアイアンマン、日本でも仮面ライダーキン肉マンまで結構多くのキャラクターがやってる。一方で頭部へ少なくないダメージを負う状況を作らないといけないので、ピンチに陥る描写全般に言えることだがキャラクターの強さの格が下がってしまったり、繰り返すと作品内の戦闘のシリアスさを損なう諸刃の剣でもある。

私は知らなかったがアニメシリーズでもベイダーのマスクは割れたらしく、それを観てると今回のマスク割れは乗り切れない人も多いんだろうな。わざわざヘイデンがベイダーを演じるという事実が既にベイダーのマスクが外れるか割れるかすることの予告になってしまっていたのも勿体ない。それでもヘイデンの演技は一見の価値があるし、まさにアナキンとベイダー、2つの人格の橋渡しをする名シーンだとは思うけどね。

『オビ=ワン・ケノービ』Part 5 感想

 本当に酷かった。ドラマを進めたいのはわかるが、作劇の都合でバカを通り越して意味不明な行動をするキャラが多く、全く乗れなかった。

 

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 レイアを救出したオビ=ワンとターラだったが、レイアのドロイドに取り付けられた発信機によりパスの拠点が帝国に知られてしまった。難民を逃がす時間を稼ぐため、オビ=ワンは戦士として、指揮官としてサードシスター率いる追手と戦うことになる。

 今回のエピソードではパスの人々と帝国軍の攻防を、かつてのオビ=ワンとパダワン時代のアナキンの手合わせになぞらえて描いている。挿入される回想シーンのオビ=ワンとアナキンが凝った特殊メイクもなく、老けた顔のままエピソード2当時の格好をしているのには驚いた。エピソード2当時のアナキンの魅力はいかにもティーンらしい自意識過剰さ、未熟さを外見含め生々しく表現しているところにあり、今のヘイデンがやっても違和感しかない。仮面ライダーの「本人キャスト」でもお馴染みだが、こういう演出はアナキン・スカイウォーカーのキャラクターよりも、ヘイデン・クリステンセンが演じているということが大事にされていて乗り切れない。今のヘイデンが演じる意味があるキャラクターがいて初めて起用されるくらいじゃないと、ヘイデン自身にも失礼だと思う。

 パスと帝国軍の攻防は緊張感の欠片もなく、展開も雑もいい所。ストームトルーパーの弾はほとんど命中しないし、オビ=ワンは相変わらず敵が多いほど強くなる。本当に最初から戦っておけばこんなことには…。戦いの前唐突に自分語りを始めたターラが戦死するのも予定調和過ぎるし、そもそもターラが死んだ原因は前線を張ってたオビ=ワンがけが人救助のために引くとかいうポカをやらかしたせいだから救えない。

 ダース・ベイダーに復讐心を持っているリーヴァをオビ=ワンが焚きつけるのは理に適っている。ただ、見せしめに一般人の手を切り落としたり、少女を攫ったりしているリーヴァに今さら家族だ子供だで説得するのはちょっと無理がある気がした。リーヴァ本人も手段を選ばずやってきた的なこと言ってるし。あと降服したオビ=ワンがパスの要塞内に連行されるシーンは本エピソード最高の意味不明シーン。わざわざ捕まえたオビ=ワンをベイダーから遠ざける意味もわからんし、特に命令もなくそれを行うトルーパーも、異を唱えない他のトルーパーもリーヴァも訳わからん。これ、メタ的にオビ=ワンをベイダーから逃がさないといけないからこうなって、実際にそうなるんだけど、そのまますぎて作中のキャラクターがそういう意図で行動してるようにしか見えなくてやばい。せめてリーヴァがそう命令してトルーパーが疑問を抱くとか、自分がおりてきたのにオビ=ワンがいないことにベイダーが疑問を抱くとかしたらまだわかるのに、何の説明もないから意味不明になってる。あと、宇宙船が二つあるならオビ=ワンとターラが潜入してる間に逃げてればよかったのでは?

 そして今回のクライマックスであるリーヴァとベイダーの対決。この戦闘シーンはベイダーの圧倒的な強さが見えてよかった。何気にベイダーがオビ=ワンとルーク意外と戦うシーンは貴重では。外伝ではあるのかもしれないが。エピソード3ではぼかされていたオーダー66の悲惨さを被害者の目線から描くのもいい。ここはちゃんとヘイデンも活きてるし。しかし、オビ=ワンは自分では戦わず、リーヴァを囮にして逃げたようにしか見えないのがかなりきつい。今回ドラマが進展したのはターラの死とリーヴァの敗北によるものだけど、そのどちらもがオビ=ワンによって引き起こされてるのは主人公としてどうなのか。本人は意にも介さず「何かがおかしい」とか言ってて、新三部作での失敗を後悔して世捨て人になった男と同一人物とは思えない。

 以上、そこまで掘り下げをされていたとは言えないオリジナルキャラクターの死(?)でドラマを動かし、シリーズの重要人物であり今作の主人公であるオビ=ワン・ケノービにその責任を負わせるという、思慮に欠けたつくりの話だったと思う。あと一話で終わるけど、もうこれ以上の恥の上塗りをしなければいいな。落とした通信機でルークの存在がばれるとかね。

『オビ=ワン・ケノービ』Part 4 感想

 うーん、前回よりはましだったけれどこのドラマが抱える、話の都合でキャラクターが動かされる問題は改善されていない。前回よりましなのは結局、ダース・ベイダーの登場が減って、シリーズキャラがバカに見える不快感の総量が減ったというのがほとんどだと感じた。
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ネタバレ注意。
 
 
 オビ=ワンはダース・ベイダーの魔の手からターラによって助け出されたが、レイアはサードシスターに連行されてしまった。オビ=ワンはレイアを救い出すため、レジスタンスの前身と思われる組織「パス」の力を借り、ターラとともに尋問官の要塞へ乗り込む。
 本エピソードの推進力となる目標は、パスの情報を求める帝国軍の尋問でレイアの身が危ないので、一刻も早く助け出すことである。まずこのレイアに危険が迫っているという根本的な状況設定に問題がある。
 時系列的に後の作品である旧三部作に登場するレイアは生きており、大きな後遺症もない。つまりレイアが無事に救い出されることは決まってるため、視聴していてなんの危機感も湧いてこない。ではレイアの不安や恐怖といった感情的側面に焦点を当てるのかと思うと、それもない。救出されたレイアは泣き出すこともなく、いつも通り好奇心のままオビ=ワンのマントから顔を出したりする。既に完成されたレイア像に沿ってに動くロボットと化しており、ファンへの目配せ以上の効果がない。第1話の時点ではこの有様がオビ=ワンのドラマを邪魔しないことを期待し好意的に捉えていたが、ここまでドラマに関わってしまえば逆効果だ。
 またレイアを尋問するサードシスターにも違和感がある。子供から、それも拷問を通して得た情報に信憑性を見出す軍人はいないだろう。最もサードシスターであれば、信憑性に欠ける情報であってもこれまでと同じ超人的な直感で完璧に取捨選択をしてみせるだろう、という悪い予感もするが。発信機に関する展開も雑で、予測してたんなら逃がすのはレイアだけで十分だと思うんだが。というか拷問部屋にわざわざドロイド持ってったのか。発信機をつけようが基地に被害を出して、オビ=ワンを取り逃がした彼女を見逃すベイダーも甘すぎてらしくない。
 尋問官の要塞に潜入するオビ=ワンとターラは共に通信機の音声を敵に聴かれてしまうシーンがあるが、この世界にはイヤホンとかないのでしょうか。せめて予め合図を決める(安全なら1回、危険なら2回ノックする、とか)なり、危険時は電源を切るか布に包んで音を殺すなりできるだろう。ターラこれでよくスパイやってこれたな。
 本エピソード唯一といってもいい見所は、オビ=ワンがPart 2以来のジェダイらしい、即ちフォースやライトセーバーを使った活躍を見せることだ。ストームトルーパーを倒し、ビームを弾き、水圧でガラスが割れるのをフォースで押しとどめる。が、相変わらず撮り方に躍動感がなく、アクションシーンとしてはいまいちだった。棒立ちで水を止め続けるとか、迫力を出す気がないとしか思えない。あと海底基地の壁をビームで割れるようなガラスで作るな。
 また活躍したらしたで、もっと早くやっておけば…という気持ちを拭えない。第2話でも、第3話前半でもライトセーバーを抜いておけばもっと安全にレイアを救出できたろうに。敵の要塞に飛び込んで無傷で逃げ延びる人がなんでストームトルーパー数人に投降しようとするのか。そもそもアナキン生存の事実やそのアナキン=ベイダーとの対面など、エピソード3の出来事がトラウマとなりすっかりやさぐれたオビ=ワンの心をさらに追い詰めるような展開ばかりなのに、むしろどんどんモチベーションが上がっているように見えるのは何故なんだろう…。彼が常軌を逸したマゾヒストとでも考えないと説明がつかない。冗談はさておきこれは、起こった出来事がオビ=ワンの心境にもたらす変化を描いていないことによるものだ。私はこのドラマを、心に傷を負ったオビ=ワンがその傷から立ち直り、新たな希望ルークを導くべくもう一度奮起するまでを描こうとするものだと考えていた。その観点からしたら、オビ=ワンの心境の変化は何よりも丁寧に描くものだと思うが、実際は全くそれをせず、立ち直るという結果ありきの出来レースになってしまっている。
 いつの間にやら勝手にジェダイとしての勘やかつての蛮勇を取り戻しつつあるオビ=ワンを見ていると、劇中で起こるあらゆる事件がどうでもよく見えてきて辛いな。何が起こるかより、起こった事をどう受け取るかを描くのが人間ドラマだと思うんだけどね。ここが期待できない以上、何が起こるかに重きを置くショーとしての在り方に期待するしかないが第3話の有様を見れば雲行きは怪しい。既に折り返しを過ぎたがどうなるか。

『THE BOYS』シーズン3 第1話「ペイバック」感想

 私はシーズン1から全話視聴しているが、ヒーローものとエログロの掛け合わせにより、外面はいいクズとそのクズがどうしようもなくぶちのめされる様を見る爽快感がこのドラマの魅力だと思っている。裏を返せば今までは各キャラクターの心情にそこまで注目して観ていたわけではなかったが、今シーズンは少し趣が違いそうだ。

 

ネタバレ注意。

 

 前シーズンから1年が経ち、ストームフロントの再起不能と能力者管理局の取り締まりでヴォ―ト社やヒーロー達の不祥事への対応は表面上は片が付いたようで、ザ・ボーイズ対セブン/ヴォ―ト社の構図が崩れ、各キャラクター個々人の思惑が交錯しだしている。それに伴い主人公だったヒューイ以外のキャラクターの視点が増え、ブッチャーやスターライト、そして何よりホームランダーが中心となり群像劇を織りなすことを予感させる導入だった。

 能力者管理局で要職に就いたヒューイはスターライトの公認の彼氏としても順風満帆の生活をしている。ザ・ボーイズには職務上の実働隊として接しつつもブッチャーとは溝が残る様子。そして彼は自身の上司、能力者管理局の局長であり設立者でもあるヴィクトリア・ニューマンが能力者であり、シーズン2で起きていた頭を破裂させる連続殺人の犯人であることを知ってしまう。

 ブッチャーは公権力に縛られ手段を選ばなくてはならないザ・ボーイズの現状に不満を抱きつつも、亡き妻ベッカとの約束を守りその子ライアンの養育のためにも今は矛を収めている。ヴォ―ト内部の協力者であるクイーンメイヴから、ホームランダーを殺害できるかもしれない兵器の情報と、一時的に超能力を得る薬を受け取ったブッチャーは葛藤することになる。

 そしてホームランダーだ。ストームフロントとライアンを失ったうえ、ハイジャックの被害者を見殺しにしたスキャンダル映像で脅され身動きが取れない。おまけに前作での不手際で支持率を下げてしまい、支持率を上げたスターライトがセブンの共同リーダーに任命されるという屈辱を味わい、精神的に不安定になっている。自分に散々煮え湯を飲ませたブッチャーと互いを宿敵と認め合うシーンが素晴らしい。他者、特に無能力者を見下すホームランダーに目を付けられたブッチャーのこれまでの積み重ねの非凡さ、そして置かれた状況の危険さが最高にハラハラする名シーンだ。

 第一話から今までと違う趣を見せていて今後が楽しみだ。個人的にはスターライトが心配で、道を踏み外してボーイズに倒されてしまうことも有り得るのではないかと思う。

モンハンライズの話

 『モンスターハンターライズ:サンブレイク』が来る6月30日(木)に配信される。これは昨年発売されたモンスターハンターシリーズの最新作『モンスターハンターライズ』向けの超大型追加ダウンロードコンテンツで、新たな拠点、モンスターやマップだけでなくさらなる高難易度マスターランクが追加される、過去作における「G級」に相当するものだ。これに備えて、約1年ぶりにライズを遊んだので、せっかくだからライズの話をしておこうと思う。
 まずは私のモンスターハンター歴について。私が初めて触れたのはPSPで発売された『モンスターハンターポータブル2nd』で、続いて同機種で発売された『2ndG』、『3rd』も遊んだ。しかしハードがPSPでなくなってからは遊んでおらず、ライズは私にとって実に10年ぶりのモンハンだった。PSP時代のモンハン世界の非常に過酷ながらどこかコミカルな世界観、そこに生息する現実と幻想のキメラのようなモンスターたちが好きだった私は、3DS期のよりファタジー寄りのモンスターや『ワールド』のリアル志向の環境描写などにあまり魅力を感じなかったのだ。しかし、ライズにはポータブルシリーズに通じるものを感じたため購入することにし、その期待は予想を上回って適えられた。
 一体ライズの何が私にポータブルシリーズを想起させたのか。それは、モンスターを主役とした画作りにあると私は考えている。10年前のモンハンは当時としては美麗なグラフィックを誇っていたが、今になってみればスペック的な制約もあり、フィールドよりもモンスターのグラフィックを優先する取捨選択を行っていたように思う。
『ワールド』は最新のスペックでフィールド、モンスター双方のグラフィックの美しさを追求した一つの完成形なのかもしれない。『ワールド』の動画を観た私はマップの美しさに感動し、この美しいマップと迫力のあるモンスターを合わせた、その名の通り「世界」を楽しむゲームなのだろうと思った。
一方『ライズ』はポータブル時代のモンスター>フィールドという画作りのバランスを意図的に再現し、『ワールド』よりもモンスターを引き立たせるゲームであると私は考えている。妖怪をモチーフにし寓話的な味わいまで付加された今作のモンスターの個性は視覚的にも非常に強く、縄張り争いに加え百竜夜行という今までにない試みもあって今作はまさにモンスターが主役といえるのではないか。『サンブレイク』はこれまでの和風路線から一転し西洋風になっているが、新モンスターは吸血鬼やゴーレムといった西洋の怪物がモチーフとなっており、この方向性は一貫していると思われる。
 モンスターが主役とは言ったが、フィールドに魅力がないわけではなく、むしろ今作のフィールドは自分の知る限り最も魅力的なアクションゲームのフィールドだ。昔に比べてより広く、特に上下方向の起伏が大きいがオトモガルクや翔虫の恩恵で移動がスムーズに行え、エリア間のロードもなく、ほどよく広大でありながら全体的にストレスなく駆け巡れるフィールドになっている。また、モンハンお馴染みの謎の遺跡も存在し、かつては外から眺めこの世界の過去に思いをはせるだけだったが、今回はその壁面を登り中に入ることもできる。『サンブレイク』のPVでは巨大な城跡が見られ、今から登頂するのが楽しみだ。
 以上、モンハンライズは自分がモンハンに求めている体験を的確に狙ってきた作品だったし、むしろこの作品のおかげで自分がゲームに求めるものも少し具体化されたような気がする、自分にとって大切な作品だと言える。これからもライズはプレイしてサンブレイクに備えたい。
 過去にプレイしたゲームの感想を反芻してまとめるのはリアルタイムの感想とは違う面白さがある。昨年はかなりハマった作品が多かったにもかかわらずブログを始めていなかったため感想を出力する機会が少なかった。これからも機会があればこういう記事も書いていこう。
 
今日の仮面
 コーナー名変えてみた。今回は私の好きなモンスター「ゴシャハギ」の話。名前の「ハギ」の部分、藁のように硬質な毛皮に氷包丁など見るからにモチーフは「なまはげ」である。ゴシャハギの黄色いらんらんとした眼や鋭い牙に太い角、特に怒ったときの赤い顔はまさに一般的ななまはげのお面のイメージだ。棍棒も使うから鬼もあるんだろう。体型は熊っぽくて東北の雪山のイメージでうまく親和してるけど、横に大きい口が異様でとても熊には見えない。こんな風に顔や体の部分ごとに違ったモチーフが取りいれられた「キメラ感」は王道のモンスターデザイン、モンハンの各部分の主張が強くてどこかコミカルに見えるバランス感が好き。

『オビ=ワン・ケノービ』Part3 感想

 公開から観るまでに少し時間が空いて、本エピソードの不評を目にする機会があった。他者の意見で自分の感想を左右したくはないが、残念ながら私も本エピソードには多くの不満がある。

 前回までの感想はこちらに。

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ネタバレ注意。

 

 本エピソードは非常に多くの問題があるが、大きく3つに分けて述べようと思う。

 まず、登場人物の行動が意味不明。どんな動機でどれくらいの思考力があるのかが不安定で、話の都合で言動が左右されているようにしか見えない。前話までのオビ=ワンとレイアの行動はそれぞれ自暴自棄だったり世間知らずの子供だったりで説明できると思ったが、今回はそれどころではない。トレーラーでの会話は本当に酷くて、オビ=ワンの信じられないくらい間抜けな呼び間違いはレイアの実の親の話に繋げるためでしかなく、それを見逃す帝国兵も同じくらい間抜けだ。しかもあの会話の流れだとオビ=ワンが実の親であることを何らかの事情で話せないように見え、どうしてレイアが納得するのかも全くわからない。尋問官たちは権力争いしか考えておらず、ベイダー卿は適当に市民を虐殺する割にはオビ=ワンは痛めつけるだけで取り逃がす。そのくせオビ=ワンは抜け道から郊外にテレポートするし、サードシスターは超人的直感で抜け道のある整備工場を見出す。前回までくらい小規模ならともかく、オビ=ワンの生存発覚から指名手配、ベイダー卿まで参戦して全員が全員ここまで間抜けなのはいただけない。

 次に、スターウォーズの世界観とのずれ。フォースやジェダイの扱いについて前回はオビ=ワンがフォースと向き合うことを避ける様が新3部作と旧3部作の時代間でのフォースへの社会の認識が変化する過程を見るようで興味深かった。ただ流石に帝国兵に所在を把握され、捕獲までされる危険を冒してまでライトセーバーを抜かないのは自暴自棄を通り越して自殺行為だし、そのくせドラマ終盤まで溜めることもなく本話の終盤で抜いてしまう。マプーゾはオビ=ワンの説明に反して畑の痕跡はまるでない。ベイダー卿がいる惑星も中途半端にムスタファ―を連想させるだけで科学水準もよくわからず、宇宙戦艦も登場しない。ここは予算の都合かな…。言いたくはないが『オビ=ワン・ケノービ』は最大限の投資をするに足るものではないのか。

 最後に、ドラマの構成や演出自体の拙さ。ベイダー卿の顔を野暮ったく煽る割にはテーマを流す度胸もない。旧三部作の力強いテーマとベイダー卿の奥ゆかしい背面カットとは正反対である。戦闘シーンについては、ブラスターを使った戦闘はむしろ緊張感のなさが魅力的だと思っていたが、ライトセーバー戦でさえそれが続くとは思っていなかった。武器としてよりも照明としての役割を強調されるライトセーバーを観るのはとても悲しい。そして、これらの力の抜けた山場を物語の中盤に持ってくる構成にも疑問がある。悪い意味で先行きが見えない。

 以上、本話は単純に出来が悪いだけでなく、旧作の味わいや前話までの本作独自の魅力も台無しにした。今後の展開が不安であるが、最後まで感想を続けられるよう努力したい。

『ULTRAMAN』感想

 『シン・ウルトラマン』の影響で、2004年公開の映画『ULTRAMAN』が注目を集め、AmazonでDVDが売れていると聞いた。俄かには信じがたいが、自分も大好きなこの作品を今一度鑑賞したいと思い、幸運にも近所のレンタルビデオショップにて借りられたので、『シン』鑑賞前後での視点の変化も含め感想を記録しておこうと思う。なお、DVDは購入しません。Blu-ray化や配信開始に望みをかけたいから。

 設定やストーリーの面で原作に極めて忠実なリメイクである『シン・ウルトラマン』が賛否を呼んだ結果、より現実に即した再解釈を試みた、いわば真逆のアプローチを行ったという点で本作が注目を浴びるというのはなかなかに興味深い。面白いことに翌2005年には『仮面ライダー THE FIRST』が、海外では『バットマン ビギンズ』が公開されており、リアル・ダーク・シリアス路線のリメイクはこのころ盛んだったようである(仮面ライダーだとむしろ1992年に発売された『真・仮面ライダー序章』の方が近いかもしれないが)。

 

以下ネタバレ注意。

 

 本作におけるウルトラマンはより生物的な外見をしており、初代ウルトラマンの体色の赤や銀をそれぞれ筋肉や甲殻のように用いてデザインされている。カラータイマーに当たるエナジーコアも常に赤色でハート形を思わせる形をしており、危険時には脈拍音に似た音を放ちながら脈打つように点滅する。また、不完全体である「アンファンス」は初代ウルトラマンの初期のしわしわの顔、いわゆるAタイプを思わせるデザインである。

 少し話はそれるが、本作や『ウルトラマンネクサス』におけるウルトラマンの在り方について話したい。彼が人類に与えるのはスペースビーストと戦う力のみであり、それ以外の干渉はほとんど行わない。これらの作品で人間の社会的・肉体的問題を解決するのは飽くまでも当事者たちであり、ウルトラマンは彼らに希望を与える存在として描かれる。本作においてもウルトラマンは継夢の病気を治療することはしないし、『ネクサス』においても憐はデュナミストであるにもかかわらず自身の肉体的欠陥を克服できない。これは、『シン・ウルトラマン』を含む多くのウルトラマン作品で言及されるウルトラマンによる人類への過干渉への問題意識を具体的かつシビアに実践していると言え、ウルトラNプロジェクトにおける再解釈の最も有意義な点であると私は考えている。以下、本編の感想に入る。

 今作のウルトラマン映画としての最大の問題は盛り上がりが少ないことだ。ウルトラマンが戦うシーンが全97分中2回しかないというのは2004年だとしても少なく、2年後の『ウルトラマンメビウスウルトラ兄弟』は93分の長さで計5回の戦闘シーンがある。また、人間側のドラマも暗くはないがトーンが重く静かで、自衛隊描写も平成ガメラなどと比べると薄めだ。これではウルトラマン映画を鑑賞しに劇場に来た客、特に子供の心を掴むのは難しいのではないか。

 家族や恋人への愛を中心とした本作の人間ドラマはウルトラシリーズにおいては斬新ではあったが、全体的に平凡である。多忙な父と重病を患う息子、そしてそれらの困難に直面しながら気丈に生きる母の一筋縄では行かない距離感は魅力的だが、最大の当事者である母の掘り下げが不足しているためいまいち共感しきれない。息子も父親である真木の夢のために自己犠牲的な発言までするなど、都合のいい存在として描かれ過ぎている。ただ、甘い理想主義ではなく妥協点に落ち着く様は現実味があっていい。(息子の鶴の一声で真木が復隊、息子も奇跡的に持病を克服しお母さんもニッコリ、みたいになると最悪。)先述したNプロジェクト作品に共通するスタンスにも合っている。

 ザ・ワンの描写も、エイリアンだったりジュラシックパークだったり、当時から見ても一昔前のハリウッド映画の焼き直しっぽくて目新しくない。

 自衛隊の描写も中途半端で、戦闘機周りの描写以外では掘り下げが少なく、実在する組織としての説得力が薄い。ここら辺は平成ガメラシリーズ(1995~1999)が素晴らしく、さらなる向上か少なくとも同じくらいの基準を期待していたので残念だった。架空の機関BCSTがウルトラシリーズお馴染みの防衛軍の上層部っぽくて、別に自衛隊じゃなくていいように見えてしまうのも非常にもったいない。

 しかし、ウルトラマンの登場しているシーンはすべて魅力的だ。1戦目の屋内戦はザ・ワンと人間だけではただのジュラシック・パークだったのが、人型の存在が格闘戦を行うだけで一気に画が刺激的になる。人間と比べられる程度の巨大さと天井の低さが異様な臨場感を醸している。

 そして、2戦目に置ける空中戦には本作の魅力のすべてが詰まっていると言っていい。ウルトラマンザ・ワンの複雑な造形を違和感なく再現する美麗なCGもさることながら、あの空中戦において何より際立っているのはアングルだろう。大きな緩急のついたウルトラマンの変則的な動きと町や雲などの背景の移動が今作独自の迫力ある空戦を描き出している。ドラマ面でもこれまでやってきたことがこの場面に集約されており、パイロットとして、親としての真木の覚悟が見える山場である。

 以上、今作はいち映画としては中途半端な点が多いが、ウルトラマンという超越的存在の解釈や空中戦のすばらしさなど、ウルトラシリーズにおいても特撮映画史においても一定の価値を持った作品であると言える。なんだかんだ大好きな作品なんだよなこれが。ネクサスも今度観よう。

 

(2022年6月8日追記)

仮面の話

 忘れてた。定番コーナー化したいのに。

 今作のウルトラマンの外見は前述のとおり生物的であり、特にジュネッスは全身に鮫を思わせる流線形のヒレがあり、これは戦闘機の翼のイメージでもあるのだろう(か初代ウルトラマンでスーツの構造の都合でつけられた背中のヒレがシン・ウルトラマンで削除されているのと対照的)。特に後頭部のヒレが印象的で、タロウやレオの角とは違ったシルエットを作っている。ネクサスも同様で、この造形はニュージェネレーションのウルトラマンと並べても非常に個性的だ。かなり複雑な造形をしているウルトラマンエックスやエクシードエックスとネクサスが並んだ時ほとんど違和感がなくて、これが「時代が追いつく」ということかと感心した。