お前も茶漬けにしてやろうか!-茶柱の人生丸茶漬け-

見た作品のその時々の感想置き場

『オビ=ワン・ケノービ』Part1, Part2感想

 スターウォーズはエピソード1から新三部作を視聴し、後に旧三部作を観ている。
外伝は付き合いで『ハン・ソロ』を観ただけでほかは全く観ていない。スターウォーズへの想い入れの薄さもあるが、外伝作品での補完が嫌いというのもある。
今作は、ディズニープラスに入って初めてリアルタイムで観るスターウォーズドラマだということ、自分の中のスターウォーズ像を作った新三部作のもう一人の主人公、ユアン・マクレガー演じるオビ=ワン・ケノービへの愛着から視聴することにした。今のところは観ることにしてよかったと思える。

以下本編の感想につきネタバレ注意。

 スターウォーズの人間ドラマの魅力は、駄目な男共と強い女にある。その点で今作の導入は期待以上だった。
 新三部作での悲劇的な結末がトラウマとなり、フォースへの信仰や自信をすっかり失いルークを見守る使命に縋るように生きるオビ=ワン像は、ジェダイを無批判に信奉していたためにアナキンの悩みを汲み取れなかった彼の10年後の姿として、単純に新三部作のキャラクターを踏襲するよりも説得力があった。
この手の挫折引退ヒーローものはすごく好きだ。ライトセーバーはおろかフォースさえ使おうとしないオビ=ワンには涙が出る。
 一方、そんな彼を再び動かす事件に巻き込まれた幼きレイア姫は、齢10にしてすでにあのレイア姫、並外れた勇気と無謀さを備えた豪傑である。彼女の人格が既に概ね形成されているのは好ましいことで、この物語で変化するのはあくまでオビ=ワンであり、彼の心境の変化に集中して視聴することができそうだ。
 その意味では、敵として登場した尋問官3人組が早々に仲間割れし、うち一人が人間ドラマに絡みそうなのには少し警戒している。行動力には惹かれるものの冷酷で手段を選ばない点で距離を置かせる造形は悪役としてメリハリが効いてていい。あと3人ともどちらかというとスペースコブラに出てきそうな見た目をしている。
 スターウォーズ世界にそこまで詳しくないのでイースターエッグにはあまり反応できないかもしれないが、ユアン・マクレガーの素晴らしい演技を見るためだけでも十分に視聴を続ける価値があると思える導入だった。あと、オーウェンとベイルがそれぞれどのように我が子を大切に思っていたかが見れたのはよかった。これだけで観始めた価値があった。

『ムーンナイト』感想

 最近ディズニープラスに加入したのだが、実はきっかけはこのドラマである。これは『ザ・バットマン』にハマって、精神的に不安定で暴力的なヒーロー活動に依存しているキャラクターを求めており、多重人格で悪人に容赦のないヴィジランテだというムーンナイトに惹かれたからだ。しかし、実際のドラマはこの期待とは大きく異なる内容だった。以下ネタバレ注意。

 

 この作品の構成はドラマシリーズというよりも長い映画というべきで、映画であれば短く済まされる部分を長い時間をかけて描写している。サイコホラー的描写やインディージョーンズ的トレジャーハント要素、果ては怪獣プロレスにまで手を出して、無駄な描写が多いのも問題だが私が許せない点は別にある。ムーンナイトのヒーロー活動についての描写が全くと言っていいほどないことだ。

 コンスの口から悪人を裁く方針が説明され、マークが殺害してきたとおぼしき人々がマークの精神世界に登場するが、実際に悪人を罰するシーンはほぼ全くなく、ハローとその仲間との戦闘ばかりである。唯一そうといえるシーンも、手を下すのはムーンナイトではなく、暴力的な第3の人格ジェイクである。

 かといって完全にヒーローを軽視しているわけではないのが質の悪いところで、非常に形式的にとはいえレイラ/スカーレット・スカラベはエジプトのヒーローとして意義のある活躍をする。

 ドラマにおいてコスチュームの意義もなく、ただの超能力でしかない。敵のハローがアメミットのアバターとなる前も後も生身で超能力を駆使するので、アバターはそういうものという解釈もしづらい。マークとスティーブン(そしておそらくジェイクも)の衣装が異なるという演出も面白くはあるが、後述するように効果的に用いられているとは思えなかった。

 ドラマの内容については、神々に何が出来て何ができないのかはっきりしないため、何をしたら問題が解決するのかが推察できず乗り切れない。アメミット復活後でもあんないい勝負できるなら序盤から本気でハローを倒しに行くべきだし、ハローはハローで逃げ切れるんならずっと逃げてろよ。特に5話の精神世界は、結局現世に戻るのに天秤を安定させようとする意味が分からず、手続き感がすごかった。セラピーらしいっちゃらしいんだろうけど。

 マーベルスタジオ作品だけあって映像技術は充実しており、オスカー・アイザックの素晴らしい演技力もあり、見応えそのものはあるものの、ドラマはご都合主義的で中途半端だと言わざるをえない。何より、多重人格と向き合う話がやりたいだけならヒーローものじゃなくていいだろうという話である。次回作があればと思いたいが、1作目こうだと2作目はもっと強大な敵が出ちゃって結局ヴィジランテやんない気がするなあ…

 

マスクの話

 ムーンナイトは主導権を握る人格によって姿が変わる。私はスティーブン主導時の「Mr.ナイト」のデザインが特に好き。ドラマ版「ウォッチメン」の影響で布製フルフェイスのマスクに私服のヒーローが好きなので。

 好きなだけに演出としてあまり映えていないのが残念なところで、オスカー・アイザックが多重人格を完璧に演じ分けてしまっているために、「変身時の方がわかりやすい!」とならんのよな。こういう演出はむしろ、変身前は人格の違いが行動でしかわからないところから、視覚的に区別がつくようになるのが効果的で、人間の顔をそこまで詳細に描き分けられないコミックやアニメ向きなのかも。

 制作陣もオスカーの演技力に甘えてマークとスティーブンを同時に出し続け、挙句の果てに5話の精神病院があって、その頃には完全にマークとスティーブンが別々の人間に見えてしまっていた。だから戦闘中に入れ替わっても、本当に2人の別人が交替で戦ってるようにしか見えなくて勿体なかった。

 フォームチェンジという文脈に対する変化球として機能していた『仮面ライダー電王』の方が効果的だった。

 

 

 

 

 

 

『シン・ウルトラマン』感想

 まとめようと思いながらまとめきれず2週間近く経ってしまったので書けるだけ書いておく。

 公開日翌日に1回目、4日後に2回目、そして昨日3回目を観たが、すごく変な映画だこれは…

 1回目は乗り切れなかった。アニメキャラ調でほとんど内面の掘り下げもされない浮いたキャラクターを見て後ずさってしまい、この映画はどんなテーマを描こうとしているのかということを妄想し続けていた。それはそれで楽しかったけど。

 2回目は涙を流して感動するほど楽しんだ。前回きちんと向き合わなかったことを反省し、可能な限りエンターテインメント的な楽しみをこちらから見出そうとした。結果こちらの予想をはるかに超えて楽しめてしまった。

 3回目はその中間のような感じ。1回目と2回目でここまで振れ幅がある映画は見たことがなかった。その理由を自分なりに分析してみた結果、この映画の特異性が見えてきた。

 ウルトラマンを始め、巨大特撮はスーツや着ぐるみ、ミニチュアなど本当は巨大ではないものを巨大なものとして描く。そういった視聴者が嘘と分かっていることを約束事として信じること、雑に言えば忖度を要求する。

 さらに、庵野秀明作品も独自の傾向を持っている。科学や政治などの描写をする際に、専門用語を羅列してそれっぽさを出すことはするが、実際に考証することは重視せず割と勢いで進む。これも「そういうもの」として消化しなければ作品は非常に見づらいものとなる。

 これら「ウルトラマン」文脈と「庵野秀明」文脈が複雑に入り組んで、それぞれの初見者はもとより経験者でさえ傾向の読み取りが困難になっており、どういうバランスで作られているのかが掴みづらい。そして、何が起こるかわかっていた2回目は忖度に力を大きく割くことなく、力を抜いて楽しめたんだと思う。

 ここからは本編の感想に入るので、ネタバレ注意。

 作り手のウルトラマンというキャラクターへの愛のためか、舞台装置としての側面が強い原作に比べ、ウルトラマンの存在がドラマの中心になっている。人間と外星人が融合し、2つの価値観を併せ持つ唯一の存在であるウルトラマン人間について学び、人間を好きになるまでの物語。理解しきれない存在への尽きない興味を「好き」と表現したのは、異文化や他者を理解しようと努力することの難しさと大切さを伝えたかったのだと思う。

 映像面では何より、ウルトラマンの美しさが素晴らしかった。立ち姿が最も美しいと言えるまでに極められた美しさが見れた時点で満足。現実感を出すための情報量増加にも、原作の再現にも無自覚に偏ることなく、細部にわたって美しさを追求したから、あの神秘的な異様が成立したんだと思う。プロレスチックな戦い方も親和し、戯画的な雰囲気を醸していて軽い気持ちで楽しめた。ヒレとカラータイマーは取るが、アクターは古谷敏で飛び人形はあえて残すという倒錯ぶりにはついていけないところもあるが。

 禍威獣は完全にエヴァ使徒になるもんだと思ってたら、思いのほか愛嬌のある描かれ方をしていてよかった。逆に本家ウルトラマンにおける怪獣を期待していると淡白に見えるんだろうな。特に禍威獣ひとりひとりにドラマはないし。

 人間の性を熟知したうえで巧みに誘導するというやり方で地球を侵略しようとするザラブとメフィラスの二人の外星人は何とも嫌な説得力があった。口が上手いやつほど信用してはいけないっていう。口下手なウルトラマンとの対比も面白い。ただこの二人は原作におけるウルトラマンのカウンターとしての役割を求められており、こちらもドラマは薄い。ウルトラマンとメフィラスの立場が原作と逆転してしまったのには驚いたけどちょっと嬉しかったりして。なんやかんや勝ったことのないメフィラス星人が優勢のまま終わって、本当に対等な存在として描かれる。

 そしてゾーフィとゼットン。鑑賞時私は誤植ネタを知らなかったので、単に本家シリーズのゾフィーと区別するための名前程度に思っていた。ゾーフィの裁定者としての振る舞いは結構好きなんだけど、山寺宏一の演技はよろしくない。今作で外星人を演じた他の4人の役者はどこか無機質で不気味な雰囲気を出していたのがよかったのに、山ちゃんは抑えようとしても人間臭い感じが出てしまっていた。あとゼットンは等身大で理不尽に強いのがいいんだと思うけどなあ。ウルトラマンサーガのハイパーゼットンの時にも思ったけど。巨神兵もパワードゼットンも好きなんだけどね。

 音楽は何とも言えん。エヴァでもシン・ゴジラでもやってる昔のBGMそのまま使用には慣れたけど、いいかというと…。今回は序盤から徹底して使ってるからザラブ戦の頃には馴染むけど、それでむしろ終盤の鷺巣曲が浮き気味なのが勿体なかった。曲そのものはどっちも好きなだけに。米津玄師の曲は米津印の「ウルトラマンのうた」であってシン・ウルトラマンの内容にはこれっぽっちも符合してると感じなかった。まあ主題歌というものは得てしてそうだし、聴いてるうちに今まで好きじゃなかった米津の良さも感じるようになったのは収穫。

 まとめ。かなり賛否が分かれてるようだけど、自分は慣れればちゃんとノれたし、すごく好きになってしまった。結局はオタクだからな。ズレはあるが、変に説教臭くならずエンターテインメントに振り切った映画はいいものだ。

 

・マスクの話

 今回はウルトラマンの顔の変化。最初はしわしわ(いわゆるAタイプ)体色とともに2回目の登場でつるつる(BタイプないしCタイプ)に変化する。体色は活動限界を表すことから神永との融合に伴うものだと考えられ、人間と意思疎通ができる「血の通った」存在になったことのメタファーでもあるのかなと。てっきり顔もこれと同じかと思ったら、ゾーフィがつるつるだから違った。だとしたら地球環境への適応のなのかな。デザインワークス手に入ったらわかるかも。

『ドクターストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』雑感

 初めまして、茶柱と申します。

ヒーロー作品への愛や感想を書いていきます。

頭の中でぐるぐる考えたことを出力する書置きとして使うので、体裁はあまり気にしない。見る人が出てきたらその時に考える。

そんな目的のブログなので、基本的にネタバレ全開なので注意。

 

 初投稿は先日公開した『ドクターストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』の感想。ファンサービスを期待させる事前情報とは裏腹に、単体のアトラクション映画として相当に楽しめた。逆にファンサービス、特にイルミナティはどちらかというと余計に感じた。

 

ヒーロー映画として

 今作では自己完結で他者を犠牲にするやつはダメで、強大な力を持っていようと他者を頼るべき、ということが一貫して提示される。今作はストレンジがその基準に合格し、ヒーローとして成長する物語だ。ワンダはストレンジと紙一重に描かれているものの、犠牲を顧みずすべてを一人でなそうとするが故に悪役になってしまったんだろう。

 

ワンダの扱い

 ワンダの扱いはかなり残酷だと思う。そもそもワンダは頼るべき他者であるヴィジョンを失い、孤独を埋めるためにワンダヴィジョンから暴走を続けているわけで、他者を求めてはいるはずだ。当人の意識よりも元々仲間がいたかどうかが両者の決定的な差に見える。強引だけど、バートンなり新ヴィジョンやそれこそストレンジを頼るという選択をせず、ある意味自分の思い通りになる子供だけを求め続けるのがワンダのまずい所なのか。

 

アトラクション映画

 本作は派手な映像や過激な描写、物語展開の意外さで楽しむ映画そしての側面が強い。劇中でアメリカが言う鉄則の通り、舞台となるマルチバースが「なんでもあり」で整合性などどこ吹く風といった感じ。今日では陳腐化してしたタイムトラベルもののかつての楽しみ方に近いように思う。

 

なんでもあり

 今作は既存のMCU作品では珍しかったことが軽率に起こる。顕著なのが人死にの多さとその描写の凄惨さ。ザ・スーサイド・スクワッドっぽい。それを演出してるのはマルチバースよりは魔術だけども。アニメとかペンキとかの世界の演出はよかったけど、あの一回しかないのが勿体ない。どうせチャベスに戦わせるならもう一回ジェットコースターしてくれてもよかったんじゃないかな。

 

イルミナティ

 パトリック・スチュワートを登場させて予想通りイルミナティを登場させた割にはほとんど顔見せ程度で死んでいった。正直出したこと自体が間違いだと思ってるから扱いの悪さは個人的には気にならない。

 マルチバースだからこんなこともあり、を示すとともにこれはなしってメタ的な事情が見え隠れするのが居心地悪かった。引退したトニーとスティーブ、今後があるキャロルは出さない。でも他社で引退したエグゼビアは出しますって、X-MENシリーズ蔑ろにしてるだろ。

 

まとめ

 マルチバースを免罪符にしたキャラクターの扱いの雑ながら、ちゃんと見られるどころか相当に楽しい映画に仕上がっているという何とも歪な作品。サム・ライミありがとう。今後はもう少しちゃんと役割のあるゲストキャラクターの選定を追求してほしいな。